読書記録R6-96『日々是修行ー現代人のための仏教100話』

佐々木閑著
ちくま新書2009年5月第一刷
(朝日新聞2007年4月5日〜2009年3月26日掲載のコラムを加筆修正)

佐々木閑
1956年福井県生まれ。京都大学工学部工業化学科、および文学部哲学科仏教学専攻卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。米国カリフォルニア大学バークレー校留学を経て、現在、花園大学文学部国際禅学科教授。
文学博士。専門は仏教哲学、古代インド学、仏教史。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術在団特別賞受賞。著書に『出家とはなにか』『インド仏教偏移論ーなぜ仏教は多様化したのか』『犀の角たち』訳書に『大乗仏教概論』(鈴木大拙著)など。(本書裏表紙より)

朝日新聞のコラムは読んでいない。
購読している京都新聞のコラムなどで佐々木閑氏の書いたものに関心があった。彼は常々釈迦の時代の仏教に関心があり、主にその研究をしているようだ。

6月21日に京都アスニーで「仏教はなぜこれほど多様化しているのか」と題した氏の講演を聴く機会があり、興味が深くなった。
氏は現在は花園大学を定年退職され、特別教授に着任されているとか。
また、この本には講演会で話されたことがいくつか書かれていると気づいた。根本的な大切なことは変わらないのは当然だ。

本書を読んで、書き留めたいと思ったので以下に記す。(本当はまだまだあるんだけど…)

仏教の本質はすなわち、修行。
自己改良による「苦」の消滅。あらゆる苦を生み出すのが「この私」であるなら、心を鍛え、私自身を変えることで、苦しみから自由になれるはず。(略)

釈迦本来の合理的な教えが馴染みやすい。そこに「生き死に」の拠り所がある。初期仏教の思想をベースに、生活に結びつく叡智を100話で紹介。(以下略)(本書見返しより)

この本の目的は、釈迦という人物の素晴らしさを広く知ってもらうこと、そしてその釈迦が説いた「生き死に」の方法を読者のみなさん自身で深く静かに考えてもらうことにある。(P13)

これは意外なことかもしれないが、仏教は本来、非社会的な宗教である。世間の片隅で「私はどう生きていったらよいのか」と思い悩む人々をそっと受け入れ、そっと育てる。そこに存在価値がある。(p93)

「この世は、私を中心に動いているわけではない」という思いこそが、日々の正しい判断を下していく基盤となるのである。(p97)

仏教を生んだのは、インドのそこしれぬ多様性だ。日本が創造性豊かな国になるには、そういう懐の深さが必要である。「自分と違う考えの人には、自分にはない価値がある」という思いが大切なのである。
(p102)

僧侶の道を選ぶ覚悟(p103〜)(要約)
仏教は本来、出家者が異性と交わることを厳しく禁じるから「住職の息子が寺を継ぐ」はことはあり得ない。しかしその規律がしっかり定着しなかった日本では僧侶の結婚が許され、寺が世襲制になった。「既得権益を子どもに残したい」という親の情愛である。人に道を説く僧侶の世界では大きな煩惱だ。(略)
寺の子息であろうが一般人であろうが、出家した人にとって最も大切なのは、「どういうつもりで僧侶になったのか」というその動機だ。出家の道とは、仏教の中に生きる希望を見出した者が、自分で覚悟を決めて進むものだ。必ず人一倍の覚悟が必要になる。なぜ社会に出るのをやめて僧侶になったのか、その理由をはっきり言える者だけが、お布施で生きる資格を持つのである。

お経の違いが宗派の違い(p118)
お経というのは「釈迦の教え」というスタイルをとりながら、その実は、数え切れぬ無名の著者が自分の思いを解き表していく、その千数百年間にわたる活動の集積なのだ。(略)
どれを選ぶかは人の個性によるから、結果としていろいろな流派が現れた。それが今で言う「なになに宗」という宗派のもとだ。たから仏教は、宗派によって読むお経が違っているのだ。(略)
どのお経を信じるかで思想も活動も全く違ってくる。その「お経の違い」を正しく理解して初めて、仏教世界の全体像が見えてくるのである。

出家者のための法律を「律」という。出家した人は、律の規則覚え、その指示どおりに行動する。そうすれば自然に「正しいお坊さん」として皆に認められるようになる。あれこれ迷う必要はない。ひたすら律を守ればよいのである。そうやってストレスのない生活を送っていれば、心のエネルギーも満ちてくる。それを、唯一の目的である「修行」に集中させるのである。
この律、日本へは鑑真和尚が伝えて下さった。しかし、僧侶を国家管理のもとにおいておきたいと考えた当時の政権にとって、僧団独自の法律である「律」は邪魔だった。そのため日本では、律が軽視されるようになった。
今も唐招提寺や西大寺といった「律宗」寺院に受け継がれているが、他の宗派にはほとんどなじみがない。日本のほとんどの僧侶は、律と無関係に暮らしている。日本以外のほとんどの仏教国では、律はお経と同じくらい、あるいはお経以上に重視される。(p127)

釈迦は2500年前に死んだ時、自分はどこにも生まれ変わらないことを確信しながら安らかに逝った。寿命のある限りを静謐に過ごし、死んで完全に消滅することが、釈迦の一番の望みだった。
彼が最高の目的としたその「完全な消滅」を涅槃という。仏教とは「正しく涅槃に向かうための道」なのだ。

他にも著者と物理学者との交流など興味深い話もたくさんある。
もし良かったらどうぞ。

私はこの本で疑問に思っていたことが少し解けた。しかし、新たな疑問も生まれてきた。
唐崎夜雨さんからのご紹介で読んでみた一冊。
ありがとうございました。


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