溜息は存在感を消す
続報。
更に影が薄くなっている。
前の記事では「らしい」と、さも推定のように書いてきたが…
いよいよもう確信した。
間違いない。
仕事中の昼食に奮発してファミレスへ行ったところ、ランチタイムで既に待ちが出ていた。
だからリストに名前を書いて、メニューを見ながら待つことに。
ほどなくカップルが入ってきてカップルも名前を書いて待っていた。
それで2〜3分待っていると店員さんが現れて呼び出す…カップルを。
席のキャパの問題かな…?
となんとなく目線で追ってみると、ドリンクバーに近い2人席に案内されていて…アレレ?
他に事情があったのかな〜とも思いながら名前を書いたところを見返すと…
え、呼ばれてないのに俺の名前消されてるやん。
そこには横線シャッで消された自分の名前が。
ずっと店内で待ってて、イヤホンなんか勿論付けずにいたから名前を呼ばれたということはない。自分が来た時には店員さんは忙しく動き回っていて、カップルを呼び出すときにはじめてこっちに来たくらいだし。
違和感を感じてたら名前消えてるってもう影が薄い…いや、影も無いって…違和感を覚えずに馬鹿正直に待ってたら何分そこにいたことやら…
なんなら食べ終わった頃合に仕事の電話があってそれで移動し始めたから、食べられずに店内で暖をとって終わりだった…
と思うと疑り深くて良かった(?)
もちろん、気付いてすぐ店員さん呼んで、すぐ案内してもらいました。
案内役の店員さんと責任者っぽい店員さんに謝罪もされたし、これは影の薄さで勝利を収めた瞬間でしたね(?)
で頼んだものを待ちながら、自身の影の薄さの原因を考えてたんですよ。
主張しない人間だから、とか並の日本人以上に控えめさを見せるからもはや控えめさが実体化してるんだ、とか…
そういうのもあるかもしれないけれども、結果として気付いたのは「自身の気の暗さ」に行き当たるのではなかろうかと。
毎日仕事行くにも重い腰を上げて、しゃあねえかなんて溜息ひとつも漏らして出陣している方々が自分以外にもごまんといることは、朝ラッシュ帯の電車内の皆様方の顔の温度を見れば想像も容易ではあるけれど、仕事でも私生活でも閉塞感とか不明瞭感があったりなんかすると殊更に陰気臭さがこういったところに出てくるものなのかもしれない…と。
とりあえず今は私生活が忙しいので休みたいのですが、環境を良くしないといよいよ太陽にも認識されない気がしてくるので、まずは休日を有意義に過ごさなきゃいけないっすね。