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最近の「感動」について思うこと
今日、電車の吊り広告を見て思ったことを書き綴ります。忘れそうなので。
本の紹介や口コミを載せている広告を目にする機会は、電車に乗っている方であればよく目にすると思います。
私が見たのは、とあるエッセイの広告です。真ん中に本の表紙があって、周りには本を読んだ人のコメントがいくつか配置されていて、「感動の声続出!」という文言が左上にデカデカと書いてあるのです。
その広告を見て、「なんで読んだ人が感動してるって分かるんだろう」という疑問から、そもそも感動って何だろうと思ったので、自分なりに考えてみました。
ただ持論を並べるだけで特に結論があるわけではないのですが、読んでいただけたら嬉しいです。
感動する時って、どんな時?
感動=感情が動くこと、心が動くことだと考えています。では、どんな時に心が動くのでしょうか。
例えば、好きなミュージシャンのパフォーマンスを見た時、映画やアニメの登場人物の気持ちに共感した時、壮大な景色を見た時など、様々です。
これを読んでいる方も、「あれは感動したな」という思い出があるかと思います。
では、その時どんな感情が湧いてきましたか?
例えば、「好きなミュージシャンのパフォーマンスを見た」であれば、憧れの存在を目の当たりにして高揚したり、一緒に盛り上がって楽しさを感じる等でしょうか。
感動を分解すると、様々な感情が積み重なっているように思います。
すなわち、小さな感情が積み重なって、ある一定のラインを超えた時に感動するのではないか、というのが持論です。
「ある一定のライン」というのは体験している事柄や人によって異なると思います。だからこそ、同じものを見た時に人によって感想が違うのではないでしょうか。
「感動=泣ける」への違和感
私が勝手に思っているだけですが、感動と聞くと、大体泣いているところをイメージしてしまいます。
「感動」と「泣く」がセットになっているような気がするのです。
確かに、映画を観たり、ゲームでストーリーを進めている時に涙を流すことは私にもあります。
登場人物に感情移入したり、素敵な曲を聴いて切ない気分になったりすると、自然に涙が零れることもあります。
ですが、泣かない感動だって当然あるわけです。
例えば、マーチングバンドのショーは、様々な団体が工夫を凝らして一つの世界観を音楽と動きで作り上げます。オーディエンスには世界観にどっぷり浸かってもらうために、様々なサプライズを展開します。そして、ショーが終わった時には、オーディエンスは充実感で溢れているような状態になります。
充実感も一つの感動だと思っています。
感動には様々な種類があって、感動する理由も人によって異なると思っています。また、感動するもしないも、人によるのではないかと。
テレビでよくある「感動のラスト」みたいなフリと一緒に芸能人が泣いている姿を映す描写、前から違和感がありました。
映画のコマーシャルも同じです。上映会で観客が泣いている様子を映して「感動しました」みたいなコメントを一緒に流すアレです。
感動は泣けることが前提みたいな、そんな気がしています。
電車の吊り広告で見た本の紹介も、感動=泣けることが前提なのか、「泣きました」みたいなコメントがたくさん載っているのです。
感動は人それぞれ違うし、泣く以外にもあるはずなのに、やたらと「感動=泣ける」というものが目に付くので、違和感を感じています。
以上、「感動」という言葉について思うことでした。
最近、「これを見たらあなたも感動する!」みたいなものが多くて、「なんで感動するって言いきれるんだ…」と思っています。押し付けられているような感じがしますね。感動を求めて映画やアニメを見ているわけではないのに。
感動は主観。色んな感情の積み重ねの結果だと思っています。
皆さんはどう思われますか?
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