③独学で仲間達と宇多田ヒカルのバックダンサーなった物語(全6話)
野外ダンスレッスンの魅力
ダンスをしていくにあたり仲間は本当に大事だと思う。
一緒に練習する仲間。
一緒にイベントに行く仲間。
一緒にステージに上がる仲間。
このダンス仲間がいなければ自分はダンスをやめてたはずだ。
中には単身渡米で活動するダンサーなどもいるが、海外にいてもやはり現地の仲間の存在は大事。
高校卒業後はそんな仲間達と練習・イベント・コンテスト参加などで活動を広げていった。
そうなるとダンスの後輩なども現れてくるようなる。
そこで…
「そうだ、自分達もダンスレッスンをやろう!」
という流れに自然となった。
最初はメンバーと一緒に合同レッスンをスタートしたのだが、次第に生徒が増え各自ダンススクールを持つようになった。
と言っても野外レッスンなんだけど。
このプライベートレッスンから「ダンスでお金を稼ぐ」「好きなことで収入を得る」という意識がリアルに感じ始めた時期である。
このダンスレッスンは外で行い、決まった場所を転々とする。
ダンスヒッピーに近い生活かもしれない。
生徒はどう集めたか?
当時はネット環境が大してないのでプロモーション方法は限られる。
・外でやるので自然と人目につく
・イベントに出て名前を売る
・口コミ
完全なるアナログプロモーション。
たいした宣伝もせずよくやっていたと思う。
逆に野外というのが大きかった。
野外レッスンをしていると自然と人目につく環境になり広告効果が生まれた。
野外でダンス練習可能な場所は限られており、その中でも渋谷で有名な場所があった。
練習場所といえばあそこ!
あそこに行けばダンサーがいる!
自分はそこでもダンスレッスンをしていた。
ピーク時には1レッスンで生徒40人近く。
当時のレッスン代の支払いは現金。
1レッスン:1000円
というシンプルな設定。
1レッスン平均は10人オーバーだったので、十分バイトの代わりになる状況である。
平均するとレッスンは2時間ぐらい。
まぁダンススクールと考えても1000円で2時間は安い。
スタート時間を決めて終わりはアバウト。
外なので終わってもダラダラ教えたり、雑談したりとサークル的なノリもあった。
この頃のダンサーの稼ぎ方といえば、
・ダンスレッスン
・イベントチケットバック
・イベントショーゲスト
これが主流。
しかし、ダンススクール自体も数は少なく定着していなかった。
また「バックダンス」や「振り付け」も、当時はストリートダンサーの仕事ではなかった。
このようにダンサーの収入源が限られた状況。
「チケットバック」「イベントゲスト」に関しては実力で取りにいくしかなかった。
チケットは生徒に協力してもらう。
そしてチーム活動で名を上げつつ、イベントにゲスト出演しスクールの宣伝をする。
このようなダンサーライフを過ごしていた。
そして世の中のダンス認知度が上がるにつれて、レッスンスタイルも変化していく。
ダンススクールも増え、ダンス専門学校やスポーツジムでもレッスンクラスが増設されていく。
世の中にヒップホップが定着していく様子をリアルタイムで見ていた。
ダンスチームの影響力
この頃にはダンスチームもアンダーグラウンドでは、そこそこ名前が知られるようになっていた。
このダンスチーム活動というのはダンサーのホームである。
当時は活動チームを変えるという事は、ダンスにおいて転職に近い感覚があった。
なぜなら、各チームでダンススタイルもコンセプトも変わるし、そのチームのネームバリューが各メンバーの仕事にも影響する。
今でこそ色々なダンサーと気軽にコラボするが、当時はみんなライバル。
そのため安易なコラボやチーム移動は少なかった。
それだけチームの絆が強いということでもある。
では、自分のホームとなったチームの話をしよう。
最初のチーム活動は中学からの仲間である、
私リアール・T・Mの3人。
この3人は高校時代まで続いた。
卒業後にはMが抜け、リアールとTの2人チームになり活動。
ダンスチームで「2人」というのは構成も浅くなりインパクトも出しづらい。
その割には、よく頑張ったなという感じ。
そして、そのTはダンスの専門学校に通うのだが、そこで方向性が変わりチームは活動停止になってしまった。
「これからどうするか・・・」
そんな事を考えていた矢先に運が良かったのか、新たな出会いにより新体制の2人チームで活動を再スタートをすることになった。
この新チームの活動がメジャーシーンへのきっかけとなる。
自分のダンスライフは本当に「人の出会い」によって救われた。
時代は変われど人との繋がりは人生を変えるパワーを持つ。
しばらくは2人で活動していたが、
「普通にやっては有名になれない・・・」
と感じ、当時では誰もやってない新しい構成要素を取り入れていった。
そして、その新しい試みで大きなダンスコンテストに参加し結果は2位の準優勝。
それは大きな自信になった。
審査員の中でも意見が割れていたらしく、
【あれはダンスじゃない!】
【いや、面白い!】
優勝は逃したものの、これは大成功である。
挑戦が功を奏し話題を集めた。
その後「ダンスコンテスト挑戦」という期間を作り自分たちのスタイルを試していた。
中には優勝賞金30万のコンテストで優勝したり、新聞にも小さく載ったりし確実にダンスチームとして成果を上げていったのである。
チームメンバーとイベントオーガナイザーの方向性
ダンスのチームメンバーに誰がいるか?
どのダンスイベントに出て誰と絡むのか?
これはダンス活動や仕事に凄い影響する。
社会でも同じことが言えるだろう。
「類は友を呼ぶ」というが、ダンスチームはまさにそれを形にしている。
「意識や目標」「衣装」「振り付け」「仕事の取り方」まで。
ある意味フリーランスチームのような環境だ。
人数が増えれば増えるほど、その意識が高まっていく。
それに加え、
「どのダンスイベントに出演し誰と絡むのか?」
これはダンスの仕事する上で影響力が大きい。
誰に可愛がってもらっているか?
人間関係の上下がある環境なら重要な要素だ。
例えばAとBのイベントオーガナイザーがいるとする。
一方にしか仕事をもらえない状況だとしたら、どう考えるだろうか。
Aさんから受ける仕事
人気アーティストのバックダンサー。
ギャラ安め。
Bさんから受ける仕事
モノマネ番組のタレントのバックダンサー。
ギャラ高め。
どっちが正解ということではない。
ダンスの仕事でも方向性があるということ。
このように「仕事の内容」や「方向性」が人脈によって変化する。
この方向性という点では、自分のダンスチームは運もあるが良い選択をしてきたと思う。
なぜなら、ダンスを知らない人でも分かるメジャーな仕事につながったから。
この「ダンスを知らない人でも」いうのは非常に強い経歴になる。
どんな経歴なの?
という人はこちらでどうぞ⬇︎
プロフィール
ちなみに、アンダーグランド活動で2人だったダンスチームは気の合うチーム同士が結束し「7人チーム」まで膨らんでいた。
しかし、ここから各自で分かれ道となる仕事が訪れるのであった…。
続く。
▪️運営ブログ : ダンサーズクエスチョン
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