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「自分が変わるしかない」のもう一歩先へ。
今日はちょっとディープな話を。
昔、母は私に何度もこう言いました。
「他人は変わってはくれないから、自分が変わるしかない。」
わたし、この言葉が大嫌いでした。
これを言う母は決まって、他人に対して諦めたような雰囲気を出すから。「どうせ誰もわかってくれない」という悲しみを感じたから。
子どもながらに、近くにいた人が悲しそうに言うのがつらかったのだと思います。
そして、これは今だから思うのですが、
少なくとも、その時点で数年一緒に住んでいた、大切な母に、
そんなことを言わせる他人、つまり家族以外のよそ様を信じられるわけがなく。
わたしの人間不信はここから生まれていったのだと思うのです。
それからわたしは大人になる過程でいろんな経験をしました。
でもどこかで、他人に変わってほしいと思ってた。
「他人は変わってはくれないから、自分が変わるしかない。」
そんな悲しい言葉を信じたくなかった。本気でちゃんと願えば、自分がちゃんと誠意を見せれば、変わってくれるはずだと信じたかった。
でも。
現実は無情でした。あの言葉の言うとおりだったと、簡単に心を折られるほどに。
中学は周りにないがしろにされて、高校は引きこもりをやって、大学はコミュニティを転々とした。
夢を追いかけても、心がついていかなくて、その夢にすら向かえなくなった。
必要とされなくて、わたしが願っても変わってもらえなくて、自分すら信じられなくなって、自分はどこに向かえばいいのか、ここ数年、まったくわからなくなっていました。
あぁ…希望なんてないと、光なんて見つからないと、孤独の中で、諦めていたこともたくさんあったと、思います。
でも、最近気づきました。
わたしの周りが、変わってきている。
決して100%ではないにしても、わたしの言葉を、気持ちを、ちゃんと聞こうとしてくれる人たちがいる気がする。
わからなくても、理解できなくても、わかろうと、理解しようとしてくれる人たちがいる気がする。
いや、もしかしたら、今までにもいたのかもしれない。気づけなかっただけなのかもしれない。
それでも、わたしは一人じゃないと、やっと気づいた。
ならばわたしは、どうするべきか。
そんなもの決まっている。べき論で語るまでもない。
―――信じたい。
容易に周りの人間が信用できないのは、変わらない。
人間なんて自分勝手で、所詮自分の都合のために他人を振り回すものだ。
それでも、せめて、せめて、わたしを信じてくれた人たちぐらいは、信じたい。
今まで、他人にどうしようもなく絶望して、しんどくなって、それで終わりだった。きっとそんなのがすぐ変わるわけはなく。
でも、そこで終わりにするな。信じたいという心を持って、今までにはなかった「もう一度」を。
今までつかめなかった、傷ついた先の「もう一歩」を。
――――
お母さん。最近、やっとちょっと素直に話せるようになった気がするのだけど(笑)
そんな、ちょっとだけ素直になったわたしは、あなたの教えを、改めてちゃんと守りたいと思います。
ただごめん、言葉の意味だけは、ちゃんと再定義させてください。
「他人は変わってはくれないから、自分が変わるしかない。」
思えばその言葉は、他人に対しての絶望と悲しみを背負った言葉。わたしと、おそらく母をも苦しめた、呪いの言葉。
でもね、そうじゃないだと、わたしは思うんだ。
くそみたいな人間たちの中で、わたしの弱いところを見たって、それでもわたしと純粋に仲良くしたいと思ってくれる人たちがいる。大切にしたいと思ってくれる人がいる。
そんな人たちがいるとわかったら、「他人に変わってほしい」なんて生温いことを思う前に、ただ「自分が変わりたい」と思うだけだと思うんだよ。
もちろん些細なことはあるだろうけどね。それでも、根本はそうだと思うの。
だから、ちゃんと言葉を変えましょう。
「他人を変えたいなんて思う前に、ただ自分が変わるだけだ」
少なくともわたしは、お母さんの教えを、そうやって大事にしていきたいと思うんだよね。
――――
まあ、他人に「こうした方がいい」とか「もっとこうしてほしい」とか、思うことはたくさんあると思います。
わたしは、それを否定したいわけじゃないし、むしろ他人に期待をすることだってわたしは大切なことだと思う。
ただ、忘れたくないのです。
わたし自身が、何を大切にしているか。どこに行動する原動力があるのか。
ずっとしんどくなったり、傷つくのが怖いと思っていたけれど、きっとそれで、大切な人たちの手を、自分から放してしまうことの方が、もっと怖いから。
そんな決断をするのは、きっともっと先で良くて。少なくとも、感情に振り回されて、信じられない自分に振り回されてする決断ではないと思うのです。
苦しくてもつらくても、ちゃんと”自分”で選んでいきたい。
まあもちろん、力を抜くこと、気軽に考えること、羽目を外すことも大切にしていきたいですけどね(笑)きっとむしろそっちの方が今の自分には大事だと思ってます!
ただ、やっぱり、忘れてしまいたくないから。
これは、美談ではありません。他人への教示でもありません。そんな、きれいなものじゃない。
ただ泥臭く、自分の大切なものを大切にしたいともがいてる、めんどくさい人の備忘録でした(笑)
はーつかれた!!!