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【ひなた短編文学賞・佳作】父のサムシングブルー / 寿すばる

23年6月、「生まれ変わる」をテーマとした、初めての短編文学賞「ひなた短編文学賞」を開催致しました。(主催:フレックスジャパン(株) 共催:(一社)日本メンズファッション協会

全国から817作品の応募を頂き、その中から受賞した17作品をご紹介いたします。様々な"生まれ変わる"、ぜひご覧ください。



【佳作】父のサムシングブルー / 寿すばる


母に呼ばれたのは、茶の間でウエディングドレスのカタログを眺めている時だった。
「そろそろ処分しようと思っているんだけど、捨てるのもったいなくて。何かに使う?」
母が開けたタンスには営業マンだった父のスーツ。クリーニングの匂いがして、毎朝スーツ姿でコーヒーを飲んでいた父を思い出した。母が毎日アイロンをかけていた白いワイシャツたちも、引出しの中で二度と来ない父を待っていた。
「んー、適当にリメイクしようかな」
密かなひらめきが浮かんで、私はスーツとワイシャツを部屋に持ち帰った。
服飾の学校を出たくせに、まったく無縁の仕事を転々としていた私。父も母も口には出さないながら心配していたのは薄々知っていた。ごめんね、こんな娘で。結婚が決まったときの母は見たことのない顔で喜んで、その反応を見てやっと親孝行できたんだと気づいた。父は既に旅立ったあとだったから、生きていたらどんな顔しただろうと、嬉しいのと申し訳ないのとで複雑な気持ちにもなった。
白いワイシャツを何枚も広げてウエディングドレスのデザインを考える。うん、裾のカーブを生かしながらアシンメトリーに重ねたプリンセスラインが良さそう。襟は芯があるからビスチェに、デコルテ周りにも映えるかも。ああ、服飾勉強していて良かった。もう一度、親孝行ができそうだ。
一枚だけ新品同様の青いワイシャツがあった。襟の形がレトロで、父が若い頃のものだと思った。幸いガーデンウエディングなので純白でなくても良い。古いのに捨てずにとってあるのには理由があると思い、大きくバラに見立てて腰にあしらう。サムシングオールドに加えて、ちょうどいいサムシングブルーだ。
サマーウールのスーツは二着使ってグレーのドレスに生まれ変わった。どちらのドレスも生地を大きく使っているから、式が終わったらまたリメイクできる。父とはもう会えないけれど、父の服は何度でも生まれ変わる。インテリアや子供の服になって、その度に新しい思い出が織り重なってゆくのだろう。
母に分からないようにこっそり制作して数ヶ月。とうとうお披露目の日。母がウエディングドレス姿を見たいというのを、お楽しみに、とだけ言って、直前まで隠しておいたから着替えが少し慌ただしかった。
介添さんから「お母様びっくりなさいますね」「本当にお似合いです」と、素敵な言葉をたくさんかけてもらった気がするけれど、なんだか音がすうと遠ざかっていった。私の心臓の音だけが世界に鳴っていて、介添さんが鉄製のガーデンゲートを開いたとき、いいね、と父の声がした。たぶん、キイと軋んだゲートの音だったと思うけれど。
「作ると思ってた。ありがとう、すごく素敵」
どうやら母の掌の上だったようだ。
「その青いシャツ、結婚前に母さんがあげたの。でもサイズが小さくて。ねぇお父さん、やっと着れたわね」
父の笑い声が聞こえた。
ゲートは静かに口を閉じていた。
母と腕を組み、ヴァージンロードを一歩踏み出す。今、私は確かに父と歩いている。未来へと。




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