【ひなた短編文学賞・佳作・アイデア賞】掌に我が子/ 千葉紫月
23年6月、「生まれ変わる」をテーマとした、初めての短編文学賞「ひなた短編文学賞」を開催致しました。(主催:フレックスジャパン(株) 共催:(一社)日本メンズファッション協会)
全国から817作品の応募を頂き、その中から受賞した17作品をご紹介いたします。様々な"生まれ変わる"、ぜひご覧ください。
【佳作・アイデア賞】掌に我が子/ 千葉紫月
駅を降りると、急な夕立に出くわす
バス停は大行列。小遣いをやりくりしている身としては、簡単にタクシーは乗れない。
「仕方ない、走るか」
カバンを傘にして家まで走る。
「ただいま」
「おかえり。随分濡れちゃったね。傘持っていかなかったの?」
びしょ濡れになった姿を見て、妻の葵が呆れたように言った。
「雨降るなんて天気予報で言ってなかったからさ」
「だから、いつも折りたたみ傘持ちなさいって言っているのに。直ぐにお風呂入る?」
「そうするよ。湊は?」
「今起きたところ。ついでにお風呂入れちゃってくれない?」
「了解」
湊はこの春生まれた、初めての息子だ。
ベッドを覗くと夢中になってメリーで遊ぶ湊の姿が見えた。
「ただいま、元気だったか?」
顔を近づけるとキャイキャイと楽しそうに笑う。
「もっと育休取れば良かったな」
産後二ヶ月は育休を取得した。仕事の関係、金銭面など考慮すると、そのくらいが限界かなと思って取得したが、今思えば無理してでも、もっと育休を取れば良かったと後悔している。
「早くお風呂入らないと風邪引くわよ」
葵に言われ、急いでスーツを脱ぎ、湊の服も脱がせる。
湊の服を脱がせると太腿に赤い跡が残っていた。
「もう六十センチの服じゃ小さいかもな」
「えー、こないだ買ったばかりなのになあ。しょうがない、七十センチの服を出しとくからお風呂出たら、それ着せてあげて」
「小さくなった服はどうするの?」
「もったいないけど、処分するしかないね」
この空色のロンパースは自分が初めて湊に着せた服だったので、少し残念だった。
「鞄も濡れていたから、干しといたよ」
お風呂から上がると広げた新聞紙の上に鞄が干されていた。
「ありがとう。中身まで濡れていた?」
「そこまでじゃないけど、これはもうダメだね」
通勤の友であった文庫本は見るも無惨な姿になっていた。
「明日からは折りたたみ傘持っていくよ」
「そうした方がいいね」
翌日は昨晩の雨が嘘のように快晴だった。
「行ってきます」
「ちょっと待って」
玄関口で葵に呼び止められる。
「これ持っていって」
葵の手には見覚えのある色のブックカバーが握られていた。
「もしかして、湊の服か?」
「上手く出来ているでしょ?」
「器用なもんだなあ」
素直に感心してそう言った。
得意気な顔をした葵に送り出してもらい駅に向かう。
電車に乗り早速ブックカバーをつける。
本を手に取ると、まるで湊を抱いているような気がして心がとても温かくなった。
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