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【ひなた短編文学賞・双葉町長賞】愛を紡ぐ細胞 / 蒼月友

23年6月、「生まれ変わる」をテーマとした、初めての短編文学賞「ひなた短編文学賞」を開催致しました。(主催:フレックスジャパン(株) 共催:(一社)日本メンズファッション協会

全国から817作品の応募を頂き、その中から受賞した17作品をご紹介いたします。様々な"生まれ変わる"、ぜひご覧ください。



【双葉町長賞】愛を紡ぐ細胞 / 蒼月友


夜って薄情だ。
永遠に続きそうなふりをして、いざとなったら光を生むことをためらわない。
世界の色が黒から青へと移ろっていく。目の前には懐かしい海が広がっていて、隣には彼女がいる。こうやって夜明け前の海を二人で眺めるのは、いつ振りのことだろうか。
「もうすぐ夜が明けるね」波音の合間に彼女が言った。「まだ帰らないの?」
ああ、と僕は頷いた。
「そうだね。でも、あと少しだけ話をしてよ」
「いいよ……あ、そういえば知ってる? 人間って、生きながら生まれ変わっているらしいよ」
「それは輪廻転生とか、そういう話?」
「ううん、細胞の話」
「細胞……」
「そう。人間の体って、幾兆もの細胞で作られているでしょう?
生きている間、その一つ一つが何度も生まれ変わっているんだって。それって、前に会った君と今ここにいる君は、ほとんど別人のような存在だ、ってことだよね」
「そうなんだ」
「うん、だからさ」
「だから?」
「だからもう、忘れたっていいんだよ、私のこと」
僕は息を詰め、彼女を見据える。薄闇に浮かび上がるその輪郭は、深海を彷徨う気泡みたいに儚げだった。
「もう、この海に来なくてもいい。どんなに探したって、きっと私は見つからない。君はただ、新しい自分のために生きていけばいいの」
返す言葉が、すぐには見つからなかった。
彼女が言うことは、ある意味では正しいのだろう。例えば今の僕には、彼女を失ったあの日の慟哭を完全に再現することはできない。やはり、あの頃とは違う生き物なのだ。
それなのに何故、今も彼女と共に生きていると感じてしまうのだろう。
人間が細胞の集合体だというのなら、それらを織りなしているのは特別な糸のようなものではないだろうか。とても強く、たおやかで、けっして色褪せない。そんな不変めいた素材で紡がれた糸によって、僕という人間の仕組み、そのものに縫いつけられた存在――それが彼女だと思った。
「僕は君を探しているわけではないよ。忘れられないわけでも、あえて思い出そうとしているわけでもない」
「なら、どうして?」と彼女はきいた。「どうして私は、ここにいるの?」
あのね、と僕は答える。
「きっと君はもう、僕の一部なんだよ。何度生まれ変わったって、それだけは変わらないんだ」
そっかぁ、と彼女は言った。
「だからこんなに、あたたかいんだね」
僕たちは微笑み合う。憂いなんて何もない。
水平線に溢れ始めた陽の光が、彼女の姿をゆるやかに漂白していく。どちらともなく繋がれた手のひらを、波しぶきを掴んだような感触が包み込む。
彼女がいる。僕はひとり目蓋を閉じる。
夜が明ける。



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