母と子

以前の記事にも書きましたが、私の親族含め家族は今も家を継ぐとか、墓を守るとか、そういうことを考えるような人達です。
母は仕事がしたかったけれど、父とお見合いで結婚し、家に入り、家業を手伝いながら私を育てて、さらに体の不自由な姑の世話をしていました。
小さい頃は祖父に遊んでもらっていましたが、いつも母にくっついている子で、出かけてどこかから帰ってきたら開口一番に『母さんはどこにいる?』と聞いていたような子でした。家の店の仕事をしながら、嫁の仕事も姑の介護もして、父には怒鳴られたりもして、いつしか私は『母は可哀想だ』と思うようになりました。物事を決める時も自分で決めているように見えて、母がいいと言うものを選んでいた気がするし、貴方には無理だと思うと言われると、私には無理か、と諦めてしまっていました。それって今は私がダメだけど、いつか認めてくれるものだと思っていました。
でも最近、またやりたい仕事のことを話せば『感化されやすいお前にはつらいだけだ』と言われてショックを受けたり、一般的なライフステージを歩んでいる親戚と比べられて、凹んだり、私のパートナーは同性で結婚もできない、孫だって見せられない(そもそもそういう母に育てたれたので母親になりたくない)、
仕事だって大したことしてないし、母一人になるのは可哀想という気持ちで家も出られない、誰のせいでこんなに不安になってると思う?!と言ってやりたかったけど、…我慢しました。昨日は家に帰り部屋にこもっていたら自然と涙が出て、もう全て面倒くさい、母に死んでほしいと願うより、私が死にたい、ラクになりたいという気持ちが芽生え始めてしまいました。
どこかで希死念慮が頭をよぎるときは、脳がオーバーヒートしてるから、休めというサインを出してるという本を読んで少し落ち着きましたが、翌日、目が腫れまくって見るも無惨でした。
今日も母は私に前の職場ではどうしてたの?とか、よくわからない意図で聞いてきましたが、『もう、先のことを話すと不安になると母さんから言われたから、もう話さない。今の仕事のことも割り切ることにした。さっさと帰って寝たい』とキッパリ返答した後は、何も言ってきませんでした。
私の中でいつしか、母と話すことはしんどいことになってしまいました。私は今、骨折が完治してなくて仕事場に送り迎えをしてもらっている身で、それは有り難いと思う反面、二人きりの時間が増えてしまったことがしんどいです。
そんな時、母がまた私の名前で保険に入ろうかと言われたので、『そのお金は自分で使ったらいいでしょ、私じゃなくて』と言ったら『別にあんたのためじゃない、少しでも預けとけば利子が増えるからだ』とのことで、それなら勝手にやればと答えました。
やたら保険に入れようとするのも私のことを思ってだと思います。でも正直、希死念慮のあるようなやつに保険などかけないでくれと思うわけです。長生きなんかしたくないし、できれば早くラクになりたいやつなんで。自分勝手かもしれないけど、そんなお金があるなら自分のためにお金を使ってほしいと思う。
母はずっと自分のしたいことに蓋をしすぎて、パッと見、やりたいようにやっている私を羨ましく思っているんじゃないでしょうか、もしくは、もう何が自分のしたいことかわからなくなっているのかもしれません、とメンタルの主治医に言われたことがあります。
たぶんその推測は当たっていると思います。
私が何かやろうとすると、必ず不安要素を提示して思い直す方向に持っていこうとします。
普通の親なら、とりあえずやってみてダメな時、考えようと、よっぽどの危険がない限り肯定的に受け止めると思うのです。
うちの親はきっと毒親とまではいかないまでも、
過干渉というのか、それに似た要素が大いにあると最近思い始めました。
この関係が正常になるのは、きっと私達が離れた時なんだと思います。その時、私はこんなことを言いながらも不安と依存から抜けきれず、また病むんだと思います。

こんなはずじゃなかったのに。
もっと、普通に仲良くいたかった。

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