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僕が生きてる、ふたつの世界を鑑賞


どうしても観て見たかった『僕が生きてる、ふたつの世界』を久しぶりに新宿の映画館で観てきました。映画館が綺麗になってて驚きました。以前行ったのはエレファントマンを観に、満員の立見でした。何度逃げても痴漢がくっついてきて、すっごく嫌な思い出の場所、でも他でこの時間やってるところがなく、観たさに負けて、行って正解でした🙆‍♀️

タイトルが、どうして二つでなく、ふたつなのかなと思ってました。
鑑賞後、思ったのは不達と二つの意味があるのかなと感じました。

ろうあの両親の中で健常者の子供の大は、上手く心の声が親に通じないことがあります。
手話で伝えるのはもちろんできるでしょう、でも心のひだを言葉にすることは、普通になって難しいものです。

そしてその挙句、普通に話せても、他の親や子供から理不尽な扱いを受けてしまう、信じてもらえない、気持ちが伝わらない経験もします。

そして心の葛藤と共に、両親との生活でない、東京の一人暮らしで、離れたはずの、聾者と手話でのコミュニケーションも自分には大切なことがわかります。

自分を育てたふたつの世界はどちらもなくてはならないもの。
そう思える、誰をも尊重し、大切にできる人が増えれば良いなと、この映画を観て思いました。

吉沢亮君、手話上手でした。