毛玉よ、あれ。
ドラマ『いちばんすきな花』を楽しんで見ている。
クアトロ主演という、なんだか聴き馴染みのない言葉のとおり、4人の俳優さんが主演のドラマで、4人の男女による恋愛模様というよりは、“友情”の物語が展開される。
5年前だったら受け入れられなかったかもしれない価値観の提示や、さりげない問いに溢れていて、とても意味あるドラマだなあと感じる。
未見の人が多いと思うし、内容について詳しく触れるつもりはないけれど、人々の多様な生きかたや、それぞれの価値観、これまでは胸の内におさめるしかなかったような社会通念に対する微かな違和感の吐露が心地よく、毎週、気づきをもらったり、考えさせられたりして楽しいのだ。
最近は、そんなドラマや映画が増えてきて、あまり信用できない報道などよりも、よっぽど生活のリアルを伝えようと奮闘する制作現場の人たちの熱意を感じて、視聴者としての素直な喜びを感じる。
そんななかでも、唯一、僕がずーーーーーーーーっと納得いかないことがあって、それを一言で表現するなら、
セーターに毛玉がついてないこと。
ドラマの脚本がいかにリアルに近づいても、いや、逆に現実に近づけば近づくほどに気になるのが、役者さんの服装や部屋のしつらい。メディアのなかに憧れを見ることの幸福感は、現実逃避だ。もちろん、現実逃避そのものを否定しないし、大切だとも思っているけれど、そうやって画面のなかに理想を見ることの気持ちよさとトレードオフしているものの正体を、僕は最近、いよいよ見逃せなくなってきた。
だからどうか、セーターに毛玉よあれ。と思いながら、テレビに映る昨日買ったばかりのようなセーターと、自分が着てるセーターを見比べている。
別に映画『ゴールデンカムイ』の衣装が新品でありえねえー! とかそんな野暮なことを言うつもりはない。けれど、僕たちの心情に寄り添ってくれるような脚本ならばこそ、どうか毛玉よ、あれ。と願う僕がいる。
そもそもぼくは、新品こそ価値が高いという考えをもう少しゆるやかなものにしたい。手垢のついていない新品こそが良いという価値観は、人間の本来的な感情なのだろうか。この価値観は、経済合理性をベースにした買い替え需要喚起のためにつくられたものであって、そもそも新品って、なんだかダサくて、恥ずかしいような、そんなものじゃなかったかと、古い小説の描写に触れたりして思ったりもする。
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