問いを消すより、問いをあらわに。
先日ある地方新聞の記者さんたちと会食をした。僕は彼らのことをとても尊敬していて、それは同じ活字を扱う仕事でも見事にその手法が異なるからだ。互いに取材が起点ではあるものの、そのアウトプットが大きく違うのは、「質問者」もしくは「問いそのもの」の有無にある。
と、ここで、
今回はライターさんや編集者さんにむけた少々専門的な話になってしまうことを了承いただきたい。しかし別の世界においても何かしら役立つことがあるような気がするので、思い切って書き進めてみる。
さて、活字でも映像でも、インタビューメディアを編集するにあたって必ず打ち当たる「尺」。ページ数やそれに伴う文字数、映像における時間など、限られた箱のサイズに合わせて、うまく中身を詰めていくことが、編集作業と言ってもいい。
この「尺」という名の箱が、新聞記事は限りなく小さい。コンビニにひしめき合う商品たちのように、わずかな尺のなかで読まれることを祈るように待つ新聞記事は、ある意味フラットに並ぶことを強いられているようで、そこに美学すら感じる。
一方、雑誌メディアにおける「尺」は、新聞に比べればもう少しゆとりがある。スーパーの棚のように、季節ものや特売品など、それなりのボリュームを持って展開できるものもあれば、スタンダードな商品として、いつでもそこにあるもの、単なる情報として小さく存在するするものなど、見せ方の緩急がつけやすい。
こういった尺の縛りのなかで、新聞記事は多くを削ぎ落とさねばならず、その時に真っ先に削られるのが、質問者である記者の問いかけだ。
しかし本来、インタビューから出てくる言葉には、当然それと対になる問いが存在する。この問いを削り、インタビュイー(取材対象)の言葉のみを抜き出す行為はとてもセンシティブで、危険な行為でもある。そのことは以前詳しく書いたけれど、
僕がリスペクトしている記者さんたちは、そこを当たり前に自覚して、とても真摯に記事づくりに取り組んでいる。つまり編集側の意図を横に置いて、事実をフラットに伝えることに神経を尖らせているのだ。
しかし、このことに無自覚なネットニュースライターやエディターが後を絶たない。
例えば、
「応援しています」という言葉があったとして、その問いかけが実は「応援しているか、していないか、どちらかというとどっちですか?」だとしたらどうだろう。
「応援しています」だけをみれば、とてもポジティブで積極的に思えるけれど、その問いが明らかになることで、実は消極的な応援なのかもしれないことがわかる。この例を極端に思う人もいるかもしれないが、こういうことがネットニュースやテレビには溢れている。
僕がリスペクトする新聞記者さんには、そこに対する矜恃があって、だからこそ、美意識のようなものを感じるのだろう。
✳︎
先日、秋田のサウナでテレビを見ていたら、地元放送局の報道番組内の特集として、某プロバスケットボールチームを長年応援し続ける1人の男性を取材したレポートが流れていた。
そのタイトルに「ブースター」という言葉があって、初めてその言葉を知った僕はなんとなくその言葉が気になってみていたら、テロップフォローで「ブースターとは、会場の応援を先導して熱量を上げる人」みたいな説明がされた。ちなみにいま改めて調べてみるとシンプルに、特定のバスケットボールチームを応援しているファンのことをブースターというようだ。とにかく面白い言葉だし、新しい言葉を知って嬉しかったのは確かなのだけど、僕がなんだか気になってしまったのは、取材を受けている男性の口からは一言もブースターという言葉が出てこないことだった。
その違和感が決定的になったのが最後のシーンだ。インタビュアーがファンの男性に「ブースターとしてこれからも応援を続けられますか?」といった質問をした。つまり、本人から一言も放たれていないけれども、番組の構成上、使用したい「ブースター」という言葉を意図的に入れ込んだ質問をしたのだ。さらに、それに対する男性の「そうですね」という同意コメントに対するテロップフォローがなんと「ブースターとして応援し続けます」となっていて、僕は本当にそんなことができる感覚が信じられなかった。
放送局側の「コロナ禍においても応援を続ける“ブースター”の熱い思いを伝える」といった予め作りあげられたパッケージ。そしてそこに見合う素材を集めにかかるという、取材者として1番やってはいけないことを堂々とやられている典型のような番組だった。僕はその感覚が信じられなかった。
映像ゆえ、質問までもが放送に乗ったことで、その意図に気づくことができたけれど、これが活字メディアだとしたらと思うとゾッとする。これを大したことじゃないと思うか、そうじゃないと思うか、そこが記者や編集者、ライターとしての良心の大切な境界だと思う。
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