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「鳥」と書かれた表札の謎

 どうしよう。ここに書いてしまっても良いもんだろうか。いや、あの空間をキープするためには、やっぱりやめた方がいいのでは? と、迷っていたけれど、店主からDMをいただき、投稿大丈夫とのことだったので、思い切って書いてみる。

 昨年の夏頃だろうか、10年くらい通い続けてる美容院で、髪を切ってもらっていた最中、美容師さんに「近くに“鳥”とだけ書かれた表札があるお店知ってます?」と、まるで何かヤバい取引をするかのように耳元で囁かれた。「何? どこ? 知らない」と答えたら、あるお客さんを介して手に入れたというお店のインスタアカウントを教えてくれた。
 とにかく近所だったので、髪を切ってもらったその足で現地調査。するとあった、あった、確かにあるわ。「これは気づけへんわ〜」と、鳥表札の写メを撮り、マネージャーのはっちに調査案件発生と連絡。早速スケジュールを調整し、失礼のないよう少し先の日時でインスタアカウントに予約メッセージを送ってみた。すると思いのほかすぐに返信があり、その日は予約大丈夫とのこと。よしっ!

 ということで先日、ついにその謎のお店に伺ってきた。最寄駅は阪急苦楽園口。神戸線から北へ伸びる甲陽線の駅。少し山手のまちで、隣が芦屋ということもあり、高級住宅街なイメージも強く、実際、Panasonic創業者の松下一族の豪邸が並んでいたり、鶴○さんのお家があったりもする。それゆえ新しい飲食店がオープンする際に、そういうアッパーなお客さんを狙ったようなお店が多い。しかしながらこの街のお客さんは目も口も肥えているので、めちゃくちゃシビア。結果、1年と持たず消えてしまう店のまあ多いこと。それゆえこの謎の店も、そこそこの価格帯であることはかなり覚悟していた。
 情報を教えてもらった美容院で一応、焼き鳥店だとは聞いていたけれど、焼き鳥といってもさまざまだ。一串一串にお酒をペアリングしてくれるような、本数指定するコースタイプかなあ、それとも焼きをベースにしつつも前菜から順番に鳥を使った美しい料理を構成していく鳥懐石タイプかなあ、などとさまざまを想像する。ちなみにお店からのDM返信には、お店が入った建物の名前と住所。そして

[鳥]の表札が目印です。店名も看板もございません♪

 と書かれていた。ええ、ええ、わかってますとも。すでに現地調査済み。目印の「鳥」表札を確認し、いよいよ門の中に入る。数歩ほどのアプローチを経て、現れる扉には鳥モチーフの飾りがついている。意を決してその扉を開いた。

「予約させてもらっていた藤本です」

 そう告げると店主らしき男性が、お待ちしてましたと、まっしろなソファー席に誘導してくれた。そこはもう、ただただリビング。お店というより、マンションの一室にお邪魔したような感じ。奥にはカウンターとキッチン、そして一目でわかるほど魅力的なお酒が並んだ冷蔵庫があり、ところどころに、さらにいくつかのテーブル席が用意されている。かなり贅沢なスペースで、広さの割にあきらかに席数は少なかったけれど、トータルすると20席くらいはありそうだ。
 しかしお客さんは僕とはっちの二人だけだった。

 こ、これは、いったい、ど、どんな感じのどういうシステムなんだろう。50年の人生で培った僕の飲食体験データベースをいくら検索しても、ビジーカーソルがぐるぐるとまわったまま答えが出ない。あまりに未知な状態にこの場をどう理解してよいのか戸惑うばかりだった。机の上には、高級店にしては、あまりに粗雑な手書きメニューが置かれている。今思えば、そこにすべての答えがあったのだが、そのときの僕はあきらかに動揺していた。プロの飲兵衛とまで言わないが、食事好きな一消費者として飲食店の食事を突き詰めたとき、我々がお金を払うのは目の前に出される料理ではなく店主の美学だ。それが僕の持論。コピー用紙に、かしわねぎま、むね、ちからこぶ、ふりそで、やげんなんこつ……と並ぶ手書きの筆文字。それを簡素なバインダーに挟んだだけの気取らないメニュー表に、店主の哲学を読み取らんと必死だった。綺麗にデザインされた、いかにも高級感あふれるメニューではもはや超えられぬ幾多の飲食経営の彼岸で、そっと河原の石を売るような店主の侘び寂びと情緒と風情の混沌を前に、頭の中のビジーカーソルがまだぐるぐると回り続けている。そんな鳥串メニューの左端に目をやったそのときの衝撃たるや。
 そこにはこう書かれていた。

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