+Action が示す未来
秋田キャラバンミュージックフェス2023 in 潟上市。9/16,17二日間の日程が無事終了。アーティスト高橋優の使命とエネルギーをあらためて実感した二日間だった。
コロナ禍を経て再開した昨年のフェス。優くん自身の、2年のブランクを肯定したい。という気持ちから生まれた、+A(ction)というコンセプト提案のお手伝いをさせてもらったこともあり、昨年からはキャラバンガイドの編集だけでなく、フェス当日のエコステーションの運営についても任せてもらっている。
もともと僕は編集者として「ごみ」のことについてやれることがたくさんあるし、やらなきゃいけないというような、そんな使命にも似た気持ちを持っている。編集者の一番のしごとは、「小さきものの声を拾う」ことだと思っている僕は、その小さきもののなかに「ごみ」そのものや「ごみ」にかかわる人の存在がとても強くある。
偶然、松沢裕作さんの『⽣きづらい明治社会 不安と競争の時代』という本を読んでいると、こんな一節が出てきた。
江戸の頃から「くずひろい」というしごとは都市下層社会の職業だったという。そこに等しくある「芸人」という仕事がいまや憧れの職業であるように、くずひろいも十年後にはそのイメージを変化させたいというのが僕の理想だ。くずひろい。まさに、捨てるものをひろう仕事ならば、ある意味で編集者のしごとでもあると思う。失礼に聞こえてしまったら申し訳ないけれど、僕は世の中において価値がないとされているものを拾いながら生きている。江戸時代でいうならば僕の仕事も「くずひろい」だ。しかし僕はそこに大きな誇りを持っている。
世の中において、小さき存在や、ないもののようにされてしまっている代表が「ごみの行方」だと僕は思う。
ごみ箱のごみを集めることも、毎週のごみ出しもしない、もしそんな生活をしてる人なら、ゴミの最後は目の前のごみ箱だ。しかしその先で、それを誰かが分別してくれていたりするかもしれないということに想像力を働かせる人が、いまの世の中にどれくらいいるだろうか?
ごみ処理施設や、産業廃棄物処理会社に行けば、自動化された機械でもなんでもなく、働いている人が自らの手を使ってそれらを分別作業している姿に出会う。それもこれも、増えに増えたゴミが環境を苦しめ、結果、我々人間を苦しめていることの皺寄せだ。先日の秋田豪雨しかり、明らかな気候変動が我々を戸惑わせている。このまま、なにもかもを余計なエネルギーをもって焼却処理し続け、それを日本中のいたるところにある最終処理場に埋めていても、ただただ未来に負担をかけ続けることにしかならない。いま大人たちがやるべきことは、未来の負荷を残さない仕組みをつくっていくことだ。その一つのこたえがサーキュラーエコノミーにもあるのだと思う。
僕は、社会人になってすぐの頃、無知のあまり、親父の借金の保証人になってしまって、結果自己破産した親父の借金を押し付けられて苦しい思いをしてきた経験がある。だからこそ、僕はそれがお金であろうとなんであろうと若者の可能性を縛ってしまうような負債や負荷を先送りにしたくはない。ごみ箱にごみを捨ててその先を想像しないということは、問題を都合よく手放して、先送りすることにほかならない。僕は自分が捨てるごみのその行方が知りたかった。
かつて「マイボトル」という言葉をつくって、世の中に自分の水筒を持ち歩く文化を提唱したのも、いわばそういうことだった。ペットボトルがわるいんじゃなくて、使い捨てるという所作が身につくことを僕は何より恐れていた。フェスのゴミを残飯も箸も串もビール缶もみんな一つのビニール袋に入れて口を閉じて、ゴミ箱にポイと投げ捨てていく人を、秋田キャラバンミュージックフェスではゼロにしたい。僕にはそんな強い思いがある。
しかしだからといって、それが正義だなんて言いたいわけじゃない。気持ちのよい音楽フェスというハレの場で、気分よくゴミ分別をすることで、日常においてはそれを誰かがやってくれているということに気づいてほしい。そこに思いを馳せ、想像力を使ってくれることが、ごみにかかわる仕事をしている人たちへのリスペクトにつながると信じている。
先述のように、江戸時代には、同じく都市下層社会の職業だった、路上で歌や踊りを披露して収⼊を得る、⼤道芸⼈。彼らはいまや、ステージ上でパフォーマンスし賞賛を浴びるアーティストだ。そんな彼らに注ぐリスペクトと同じだけなんて言わないから、その1/10でも、1/100でも、ゴミの処理作業をしてくれる人たちにもリスペクトを持ってもらえたらいいなと思う。
秋田キャラバンミュージックフェスなら、それが叶うはず。そう僕が思うのは、主催者であり、アーティストである高橋優という人が、そんな気持ちをまっすぐ自然に受け止め、発信してくれる人だからだ。情に熱く、天性の豊かな想像力がこまやかな配慮に転換されていく彼の行動を、これまでいろんな場面で見せてもらった。彼と彼のファン、そして彼に感謝の気持ちを持ってくれている秋田の人たちが集うフェスならば、それが可能になると、信じている。
実際、+Actionを始めてまだ二年だというのに、お客さんのごみ分別に対する浸透度はものすごく高い。今年は、ペットボトルキャップからつくったギターピック型チャームのプレゼント企画もあって、マイ容器持参のお客さんが大幅に増えた。そうやって、少しでもゴミを減らそうと実践してくれている人の数が増えると、逆に経済合理性を優先しがちな出店者さんのほうが、お客さんに追いついてないと感じる場面も多い。ここは正直、大きな課題だなあとも思う。
今年は『ごみの学校』を主宰している友人の寺井正幸くんにも来てもらって、フェスで出たごみの調査もしてもらった。どんなごみが多いかを知ることによって、来年以降どういうアクションをプラスすればいいかが明確になるからだ。寺井くんはそもそも大阪の産廃業者さんに勤めていることもあり、ごみのエキスパートと言ってもいい人だ。そんな彼はもちろん、彼が所属する会社で働いている人たちも、自分たちの仕事にとても誇りを持っている。ぼくはその会社のパーパスづくりのお手伝いをさせてもらったので、社長を含め20人ほどの社員の人たちにインタビューをさせてもらったのだけれど、全員が自分たちのしごとや会社に誇りを持っていた。しかし一方で、自分たちの職業のことを、あまり他人に積極的に話さないとも言っていたことが忘れられない。
フェス会場のエコステーションでゴミ分別の協力をお願いするべく、大きな声を出しているのは、ある意味でそういうゴミ業界の人たちの代弁でもある。今回は地元、羽城中学校の子どもたちが、ボランティアで協力してくれるなど、協力者も増えた。そんな子供たちの指揮をとってくれた仲間たちの一部は、秋田県にかほ市の産業廃棄物処理会社、秋田マテリアルの社長さんや社員さんだったりもした。だから、あの声は心からの声であり、悲痛の叫び。けれど、いまの社会にはおよそ聞こえてこない、小さな声でもある。
ここから先は
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?