
はじめての奄美大島_03「ミキとナリ」
あらためて車を安木屋場立神へと進める。そもそも奄美大島は、海の彼方の「ネリヤカナヤ」からやってきた神様に作られたという伝説があり、現在も海から豊穣の神様がやってくるとされている。立神は、そんな神が立ち寄る神聖な場所。

トンネルを抜けると港が現れた。車を停めると、長い突堤の向こうに小さく立神が見える。ずいぶんのどかな空気が流れるなか、釣りを楽しんでいる先客が二組。その脇を抜けるように、長い長い突堤を歩き、立神へと向かう。海は碧く透明でときおりブルーの小さな魚が泳いでいるのが見えて可愛い。突堤から陸地を眺めればソテツの群生地として有名な山がドンと構えていて、その姿がとても凛々しく美しいのだけど、冬だからだろうか、ソテツたちは茶色く枯れているように見える。




いよいよ辿り着いた立神。その姿がしゃがんだ猿のように見えて、神聖な場所としての緊張感がするりと足元に落ちる。神々しさを感じながらも、どこか親しみを覚え、その親近感のおかげで気負うことなく立神に触れることができた。旅の初日にしてたくさんの気づきをいただいていることの感謝を伝える。


堤防の上を再び歩いて戻っていると、一羽の小さな鳥がテトラポッドの上に降り立ち、ずっと海を眺めていた。その姿にこっそりレンズを向けながら、なんだか僕もしばらくここに居たいような気持ちになる。そこで、朝一番空港で買った「かしゃ餅」を思い出した。かしゃ餅。かしわ餅が訛ったのかなと思ったが、「かしゃ」というのは、クマタケランの葉のこと。かしゃで包んだ餅だから「かしゃ餅」か。しかし、餅自体の濃ゆい緑は奄美地域で採れるよもぎの色。黒糖の甘みがちょうどよく、いいおやつ時間になった。



さあ、さすがにそろそろ名瀬に向かおう。名瀬は、島一番の繁華街で、今日から3泊するホテルもそこにあった。途中、翌朝のヨーグルトでも買えればと小さなスーパーのような商店に立ち寄ってみる。食いしん坊な僕は、旅中であっても腸のケアだけは欠かさない。せめて毎日、乳酸菌は投入しておきたい。そう思って乳製品まわりのコーナーを見ていたら、ミキという飲み物に出会った。
ミキとは、奄美の伝統的な発酵飲料で、原料は米とさつまいもと砂糖のみ。まさに、米とさつまいもに含まれる乳酸菌が発酵を促進させるドリンクゆえ、ヨーグルト以上に腸に良いような気さえする。小さな店にもかかわらず3種類ものミキがあり、どれにしようか迷っていたら、地元のおばあちゃんが「これが一番美味しい」と一言、東米蔵商店と書かれたものをまっすぐ指さしてくれた。地元の人が言うんだから間違いないと思いつつ、ずいぶん旅慣れてしまった僕は、地元のばあちゃんたちが勧めてくれるお菓子や飲み物は、大抵の場合、僕には甘すぎるという体験を重ねているゆえ、そのやさしさ溢れるばあちゃんが店を出たのを確認して、他の二つも手に取り、結局全種購入。ホテルで飲み比べることにした。


いよいよホテルに向かわねばと思うのだけど、編集者の性なのか、ただの欲張りか、とにかく気になるところについつい立ち寄って、なかなか名瀬の街に辿りつかない。焼酎瓶のカタチをした看板にまんまと吸い寄せられた「ま〜さん市場」もそう。「ま~さん」って人がやってるのかなと思っていたけれど、「まーさん」とは奄美の方言で「おいしい」という意味らしい。地元で取れる魚や野菜などの生鮮品のほか、お土産も充実のスーパーだった。
そこで買ったのが「じょうひ餅」。島の伝統菓子で、原材料表記を見ると黒糖と上新粉と水飴というシンプル原材料。とにかく島のおやつのほとんどが黒糖ベース。「じょうひ餅」という名前の由来を調べてみると、こちらも島津藩にまつわるエピソードが出てきた。島津の殿様にこの餅を献上した際、上品な味わいから「じょうひ餅」という名前を賜ったという。しかし、鶏飯と言い、島津藩に気を遣うエピソード多すぎだなと思うけれど、それほどまで、島の人たちはその格差に苦しんでいたのだ。夜、ホテルで食してみたけれど、素朴ながら確かに上品な甘さで、島津の殿様もなかなかいい名付けをするじゃないかと思った。ほぼ同じ原材料でパッションフルーツ果汁を加えた「パッション餅」というのがあってそちらも購入してみたが、これがまたいける。パッションフルーツ果汁と書いたけれど、原材料表記をそのままコピペするとパッション果汁と書かれているから、何かしらのパッション=情熱の汁かもしれない。上品な餅を「じょうひ餅」とするならば、こちらは情熱の餅ゆえ、「じょうね餅」とでも呼んで対に売ればいいんじゃないだろうか。



予約していたビジネスホテルの駐車場に車を停めて、チェックイン完了。初日にしてずいぶん買い込んでしまった様々を整理し、さあ夜ご飯だ。ホテルのすぐ前が「屋仁川通り」という島一番の繁華街で、ここは鹿児島県で言えば、天文館についで二番目の繁華街だという。地元の人たちは、屋仁川の方言読みである「やんご通り」とも呼ぶそうで、通りの看板をくぐり抜けて振り返ってみると、確かに「やんご通り」とも書かれていた。
予め、気になる店にGoogleマップのピンを打っていたのだが、予約しなくても一人でふらりと行きやすそうな「和知」というお店に行ってみる。タイミングよく、すぐにカウンターに案内してもらって、奄美大島らしく黒糖焼酎をいただくことに。とはいえ、たいして銘柄を知っているわけではなかったので、関西でも買いやすく多少飲み慣れた「れんと」をいただく。





黒糖焼酎は数ある焼酎のなかでも、最も飲みやすいと僕は思う。しかし黒糖焼酎は本土にいると、どこにでもあるわけではないので、普段の焼酎は大抵、芋。僕の場合、米焼酎や麦焼酎はめったに飲まない。そもそも蒸留酒よりも醸造酒を好む僕だが、沖縄に行けば泡盛を飲みたいし、九州にくれば焼酎を飲む。その土地の食事とともにいただく酒は、その土地の風土が醸す酒が一番美味いに決まっている。
カウンターの端に幾つかの本が置いてあって、職業柄気になって何冊か手に取る。なかでも気になった本が2冊、そのうちの一冊「奄美食紀行」を読んでいると、まさに黒糖焼酎「れんと」の蔵人のインタビューが載っていた。そこで知ったのが、黒糖焼酎は奄美群島のみでしか製造できないお酒だということ。
第二次世界大戦中、米不足により泡盛(米を原料とする琉球酒)の製造が難しくなったとき、代わりにサトウキビを原料としたのが黒糖酒。戦後の米軍統治下においても、奄美群島の黒糖輸出が規制されていたことから、島民が余った黒糖を酒造りに活用。この時期に自家用酒の製造が認められて、約400軒が関わるほど普及したというからすごい。
1953年、戦後から8年間、アメリカだった奄美大島が日本に復帰。その際、問題になったのが日本の酒税法だった。アメリカと違って、日本ではサトウキビを原料とする酒類は「ラム酒」として高税率が課されてしまう。それではようやく日本に復帰した島民の経済的負担が大きすぎると、加えて米麹を使用する条件で「黒糖焼酎」の製造が特例認可されたという。だからこそ、黒糖焼酎は奄美大島を中心に、喜界島や沖永良部島など奄美群島のみでしか製造できないお酒なのだ。

いやあ、まったく知らなかった。そもそも島津藩、そしてアメリカと、さまざまな支配に翻弄されてきた奄美大島の歴史を、こうやって体感を持って知ることができるのが、旅の醍醐味だなとあらためて思う。日本は広く、知らない歴史と文化で溢れている。
燻製がほどこされたポテサラや、刺し盛りなどをいただきつつ、焼酎がグングン進む。次の焼酎は何にしようか決めかねていたので、カウンターのむこうで給仕してくださる女性に好きな焼酎を聞いてみると「里の曙」だと言うので、それをいただく。うん、美味い。ちなみにその女性は、奄美出身ながら大阪に17年もいらしたのち、最近Iターンされたという。関西のローカルな話題で盛り上がりつつ、もう一軒くらい行ってみたくなった僕は、おすすめのお店を聞いた。
いくつか紹介してくださったなかで、気になったのが「ナチュールスタイルソノダ」というお店。さんざん、黒鳥焼酎の話をしていてなんだが、やっぱりちょっとワインが飲みたくなって、ワインがいただける店なんかもあるか聞いてみたら、ここから徒歩距離で且つ、ナチュラルワインが飲めると教えられ、早速行ってみることにした。


道中で店のインスタを拝見したら、#漁師が作るイタリアン #島食材 #奄美ピザ #ナチュールワイン #添加物0基本塩と醤油 という5つのタグが並んでいて、間違いないなと思う。結論、めちゃくちゃ良かった。
メニュー冒頭にある店主のメッセージには、東京のフレンチやイタリアンで13年間修行したのち小学生までを過ごした奄美に帰郷。祖父母が1953年からやっていた園田商店をリフォームして2022年4月にオープンしたお店だと書かれていた。今日の旅で、奄美大島における1953年が特別な年であることを理解できるくらいにはなっていた僕は、祖父母の思いを継いでくれた孫の思いに感謝するような気持ちでワインを頼んだ。
どうしても二軒目ゆえ、料理はパテとサラダくらいにしたのだが、それもこれも、ここは一軒目として再訪しなきゃだめだと確信したからだ。お通しで出してくれた、ネギのポタージュからはじまり、まるでスイーツのようなバニラ香るレバーパテなど、とにかくすべてが美しく、美味しかった。そして実はとても気になっていたのが、ナリピザというメニュー。



ナリピザの「ナリ」というのはソテツの実のこと。そもそも奄美大島では、ナリガイという、ソテツの実を主原料としたお粥のような伝統食があり、戦時中や飢饉時の飢えをしのいだという。それこそ、黒糖地獄とも言われた薩摩藩の圧政による米不足を、ナリガイのでんぷんで補い、飢えをしのいだとも言われる。ナリ=ソテツは、島の人々の命をつないできた大切な食文化だった。
そんなナリの原料であるソテツがいま、外来種(カイガラムシ)の被害で8割ほど消滅状況になっているという。そこで思い出したのが、今日の昼に見た立神の向かいの山の風景だ。


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