辛みおろし蕎麦であれ。
大阪駅から特急サンダーバードに乗って福井県の芦原温泉へ。今年の9月に金津の森美術館で開催する展覧会のアートディレクションを担当することになり、そのキックオフミーティングに参加するためだった。
初めて降り立ったJR芦原温泉駅は改装工事真っ只中で、改札を出たもののどこに行けば良いのかわからず、視界を塞ぐ仮設壁のぐるりをふらふら彷徨っていると、車でピックアップしてくれることになっていたデザイナーの財部くんが歩いてやってきてくれてホッとする。
財部くんはここから車で一時間ほどの距離になる、石川県金沢市在住のデザイナーで、今回のクリエイティブチームの要の一人だ。
財部くんと一緒に駐車場まで歩く途中、駅前の風景をあらためて眺めてみたけれど、たまたま定休日だったのか、大きなお土産屋さんや、飲食店など、ほとんどのお店のシャッターが閉められたままで、目の前に聳える立派な駅と相反する姿に一抹の寂しさを感じた。この街並みもほどなく大きな変化を迎えるのだろうか。
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車で10分ほど走ると、大きなホテルや旅館が立ち並ぶ芦原温泉街にたどり着く。温泉街と聞いて、勝手に和倉温泉のような、いかにも温泉街な姿を想像したけれど、車で走る限りはふつうの住宅街。けれどそれは単に昼間の風景だからかもしれない。夜になれば、浮き足立つ心を下駄の音にのせた浴衣姿の観光客が楽しそうに街を歩いているような気もした。
美術館のスタッフさんに薦められたお蕎麦屋があいにく定休日だったので、仕方なしに別のお蕎麦屋に入ってみるも、これがわるくない。福井に来るとどうしても食べたくなる、辛みおろし蕎麦をいただけて大満足だったからだ。一口、二口、三口と重ねてもなお一向に慣れない強烈な辛みを我慢しながら、きっとこれが胃腸をととのえてくれるのだと信じて食べきる。毎度、そんな罰ゲームみたいな食べ方をしているにもかかわらず、福井に来るとついつい食べたくなるから不思議だ。辛味大根には、アリルイソチオシアネート(芥子油)という辛味成分が沢山含まれていて、それが胃液の分泌を高め、消化を促進するともいわれるから、どこかで身体が求めているのだと思う。
そして、こういう旅のはじまりのちょっとした出来事が、結果的にその旅を象徴していたりすることはよくあって、今回はそんな話。
そもそも芦原温泉駅が大改修をしているのは、2023年度に北陸新幹線が敦賀まで延伸されるからだ。新幹線がやってくることのフィーバーぶりは、それこそ金沢の盛り上がりを見ていればよくわかる。ここ数年のうちにみるみる変化していく金沢の姿に、微笑ましくも寂しい気持ちを抱くのは、旅人の性だろうか。金沢で日々暮らす人たちはその変化をどう感じているのだろうと、運転中の財部くんの横顔を見ながら思ったりしたけれど、唐突だから聞くのはやめた。
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今回の展覧会は、展示以外にも書籍編集やツアー企画、商品プロデュースなど、プロジェクトが多岐にわたるゆえ、それぞれのイメージを丁寧にすり合わせていかねばならない。いくら気心知れたメンバーとはいえ、かなりハイカロリーな打ち合わせを終えて、美術館を出た瞬間、思い出したような空腹が僕を襲う。辛味蕎麦の効果か、今夜はいくらでも食べられそうな気さえする。しかし、こうやってクリエイティブチームが一堂に会する機会はあまりないかもという誰かの言葉に、確かにそうかもと、記念写真を撮ってから、芦原温泉街にある『割烹 活』というお店に直行。そこで福井の食と酒をしっかり堪能させてもらった。
酒控えようって決めてなお、こういう夜はやっぱり飲んじゃう。こうやってリアルに会って飲みながら言葉を交わせるほど幸福なことはないもの。ぐっと結束が強まった気がする。
翌日長野入りしなきゃいけなかった僕は、金沢に戻る財部くんに便乗し、金沢駅前のホテル泊。そして翌朝、金沢駅から北陸新幹線で長野駅へと向かった。
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普段、長野に行く時は車が多いゆえ、駅に降り立つのはせいぜい2度目だろうか。門前町にある建築事務所で打ち合わせだったので、久しぶりに駅前から善光寺方面へと歩いてみる。
駅前のドン・キホーテを眺めながら、県庁所在地なのに、松本や諏訪、さらには軽井沢や安曇野などと比べて、地域ブランド力弱めに感じる長野市の不思議について考える。正直、長野県内で僕が最も足を運んでいる町は、長野市よりも圧倒的に松本だ。語弊を恐れず書くなら、松本に感じる深みある文化の香りと、長野市にそこはかとなく感じてしまう軽薄な空気との差はどこにあるのだろう。最近の長野市は随分その印象も変化しつつあるけれど、それでも何かが根本的に違う気がした。
そんなときに目についたのが、七年に一度の盛儀、善光寺の御開帳の横断幕だった。
そこで直感的に思ったのは、長野市が門前町を中心に観光地化されていることに比べて、松本が城下町であるという事実。巨大な善光寺の社寺関係者と、参拝客相手の商人たちが集まる門前町として、長野市は言わば、一見さん相手の街づくりになっている。一方、松本のような城下町は、商人だけでなく、多くの職人さんを含めた多様な仕事を内包し育む包容力がベースとなった街づくりになっている。つまり松本は、そこに暮らす人たちの営みをそっくりそのまま垣間見せる、つまり過剰な演出なしに観光が成立するのだ。
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