「夕焼けを見てエモいはなんか違うじゃないですか」に、思うこと。
先日、初めての街に講演に呼ばれ、地元の人にアテンドしてもらってまち歩きをしていた時のこと。一緒に歩いていたお手伝いの女子学生が、「どんな時に“エモい”って言葉が出ますか?」という問いを周りのおじさんたちに投げて、盛り上がっていた。
気になる話題だなぁと耳を傾けていると、そもそも女子学生がそんな問いを投げたのは、あるおじさんが夕焼けを見てエモいと言ったのを聞いたからだと言う。
「それってなんか違うじゃないですか」
女子学生のその一言が余計におじさんたちを萎縮させる。その緊張感に穴をあけようと、割り込むように会話に入った僕は「いつだって、言葉はどんどん変化して古くなっていくから、おじさんになればなるほど、一つの流行り言葉に対して、距離を取っちゃうよね」とフォローなのかなんなのかわからない言葉を発してみたりした。
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講演を終え、いまこうやって地元に戻ってなお、この出来事について思い返している。気になった点は大きく二つで、当然ながら一つは、エモいという言葉の意味を若者はどう感じ、何を正解とするのかという、前のめりな興味。そしてもう一つは、言葉というものが本質的に持っている排他性に対する怖さみたいなもの。
そこで昨日、マネージャーのはっちにあのときの女子学生と同じような問いを投げてみた。
「エモいって言葉が浮かぶシチュエーションってどんな時?」
はっちは少し考えて、思い出したようにこう答えた。
フェスのときに、学校のジャージ姿でゴミの分別を手伝ってくれてた地元の中学生たちが、16時までの約束だったので一回「お疲れ様でした」って解散したけど、私服に着替えてまた、わーってやってきて、「ここからは個人活動として手伝います」って言ってくれたあのとき、あれを、エモいって言うのかもしれないですね
あぁ
たしかに。
あれはエモかった。僕たちが運営に関わっている、とあるフェスでの出来事。たしかにあのときの僕が何かしら言葉を発しなければいけなかったとしたら、エモいと言っていたかもしれない。
つまりエモいというのは、複数の感情の集合体なのだな。いくつもの感情がひといきに押し寄せてくるような、つまりは、その瞬間にはうまく分解できない気持ち。
嬉しい、だけじゃない。
懐かしい、だけじゃない。
美しい、だけじゃない。
そういったいくつもの感情の波が押し寄せてくるときに思わず出る言葉なのだろう。
そう考えると、あのとき女子学生は、おじさんが夕焼けを見てエモいと言ったことの、なにを違うと思ったのだろうか。
夕焼けを前に反射的に出る「綺麗」とか「美しい」とかの言葉の差し替えのように感じたからだろうか。
彼女はさらに「だから、エモいって言葉、わたしはもうなんか使いたくないんですよね」とも言っていた。
おじさんが使う言葉になった時点で、もう使い古されたダサい言葉といった思いがなんとなくそこには感じられるのだけれど、この若者優位な感情がぼくは好きじゃない。きっとそこに対して一番引っかかったんだと思う。
あの時僕が言った
「いつだって、言葉はどんどん変化して古くなっていくから、おじさんになればなるほど、一つの流行り言葉に対して、距離を取っちゃうよね」
という言葉は、おじさんたちに向けて放った言葉のふりをして、明らかに女子学生に向けて言っていた。君もおばさんになるし、それはそれで素晴らしいことなんだから、そんなふうに昭和のおじさんみたく、若い子に価値があるような前提で話すのはやめた方がいいよ。と暗に伝えていたのかもしれない。大人気ない話だ。
若かろうと年寄りだろうと、互いにリスペクトしあうというのがよい関係だ。だけど効率や生産性といった言葉に支配されている世の中で、彼女たちが知らずそういった態度になってしまうのも仕方のないことなのかもしれない。
お気に入りのフィギュアをブリスターパックから出さないで愛でることの異常性みたいなものを、僕は常に危惧している。子供の頃のように、フィギュアは遊ぶものではなく、新品の状態の方が価値が高いという、個人としての刹那な欲望を超えた、経済合理性という(経済合)理性をベースに生きている人たちの、もはや宗教じみた盲信ぶりに、僕はこわさを感じている。
まさにその盲目さゆえに、夕焼けをその人がなぜエモいと感じたのか、その感受性と物語に目を向けることを排除した可能性はないだろうか。
日々刻々と変化する、同じようでまったく同じでない夕焼けというものの存在や、それを見て美しいと思う人々の感情、夕焼けから想起される思い出など、さまざまに押し寄せる感情をもって、思わずエモいと言ってしまったのなら、女子学生の反応はある意味で残酷な行為だったようにも思う。
僕はそのことがとても気になっていた。
エモいも
ヤバいも
カワイイも
すべては「いとをかし」。「もののあはれ」の表現に違いない。
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昨夜、久しぶりの友人と飲んでいた時、その友人が最近英会話を習っているといって、そこで感じた気づきをシェアしてくれた。それが僕にとっては実にタイムリーで興味深いものだった。
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