【本を売ること】をとりまく環境のはなし
ようやく発売日を迎えた「魔法をかける編集」(インプレス)。amazonの出版カテゴリーでランキング1位になっていると聞いて、見てみたら、ほんとだー! うれしいー!
もちろん一時的なものだし、僕くらいの初版部数だと、地方の書店になかなか行き届かないゆえだと思うけれど、それでも日本中のいろんなところで応援してくださっている証だと思ったら、ほんと嬉しくて泣きそうになりました。買ってくださったみなさん、本当にありがとうございます。
せっかくなのでこの機会に、【本を売ること】についての思いをまとめておくことにします。というのも最近は、共著や編著を出させていただくことが多くて、自著を出版させていただくなんてことは久しぶりだし(しかも2冊同時期に!)、これは頑張って売らねばと、腰を据えて【本を売ること】をとりまく環境を眺めてみたら、いよいよこれは大変な時代だ! と焦りはじめたんですね。
ベストセラー作家でもない僕のような著者が、売ることは出版社にお任せすればいいと、のんびり構えて本が売れるような時代ではないのはみなさんお気付きのとおり。手塩にかけて育てた一冊をより多くの人のもとに届けるためには、様々に分業化され巨大化したシステムを、いまいちど家内制手工業的な世界に引き戻すことが大事です。つまりは、著者自身がやらなきゃいけないこと、いや、やれることが山盛りある。
そう思って、版元さんに相談もしないままに決めてしまったのが、各地方での出版記念イベントなんですが、そもそもなにゆえ僕が全国を回ろうと思ったのか、その真意をお伝えする前に、まずは自らの本との歩みを振り返ってみたところ、これが困ったことに、僕はずっと【このこと】と戦い続けてきたことを自覚するにいたりました。
【このこと】とは、ズバリ書籍流通です。
これ、丁寧に話しだすと、とんでもなく長くなっちゃうので、まずはざーっと15年、いや、もっとか、約20年の僕と本(書籍流通)との歴史を駆け足で振り返らせてください。
◉1999年〜
バグマガというフリーペーパーを一万部
自力発行&関西で撒きたおしてた時代
経緯は端折りますが、本当は小説家になりたかった僕が編集者の道を歩むことになったフリペ。通称バグマガ。創刊準備号が1998年だからやっぱもう20年前か!?
◉2001年頃
100均とか出てきて
デフレな世の中を後押ししてるみたいな
気持ちになってフリペやめちゃう時代
「バグマガ」以外にもこの写真のとおり、いろいろフリペをつくるんですけど、その完成度に満足できるようになるにつれ、それが無料っていうのがいやになってきちゃったんですね。
僕のなかでフリーペーパーの「フリー」は「自由だ!」って思ってるのに、某唐辛誌(創刊年が2001年)とかが出てきて一緒くたにされちゃって、世の中は「フリー」イコール「無料!」になっていくのがどうにも耐え切れなかったんです。そしてついに……
◉2002年
初めて「PARK」という有料の本を作って
当たり前のように紀伊国屋書店に
売ってくれと持っていったら
書店員さんに「は?」って言われて凹む時代
つまり僕はここではじめて【取次】なる存在を知るという、これ結構なポイントです。
この取次さんの役割については、年下だけど友人で超リスペクトな小倉ヒラクのブログ記事を読んでもらうととてもわかりよいのだけど、
単純に言うと、ほとんどの本屋さんは出版社から直接本を仕入れているわけじゃない、ってことです。取次さん経由で本を仕入れているので、出版社どころか、個人で本作って嬉しそうに持ってきた若造への対応としては、まさに「は?」が正解なわけです。
でもそれまでは、阪急電車の高架下の古着屋さんでも、心斎橋の雑居ビルのレコード屋でも、堀江のカフェでも、みなさん「お!待ってました」とか言ってもらって、ホクホクしながら配布してた無料の【本】が、売るとなったらまったく置いてもらえないことにショックだったというか、もはや同じ【本】だとは思えなかったんですね。なんだかおそろしい【モンスター(在庫)】を作っちゃったと。
◉2004年〜
ならば雑貨屋さんで本を売ってもらおうと、
ブックカバーブックなるシリーズを作る時代
これも説明しだすと長いから割愛しますが、雑貨屋さんって本屋さんのように委託ではなく、買切りで仕入れてくれる場合が多くて、ならば雑貨屋さんに雑貨として本を買い取ってもらおう!と、お世話になっていたデザイン事務所の社長と、編集者の大先輩とともに、布製のブックカバーがついた「ブックカバー×ブック」なるシリーズを展開。
つまり、雑貨屋さんには「ブックカバーです! 本付いてますけど……」と、一方で本屋さんには「面白い装丁でしょ!?」と言って、両方に流通させるという作戦です。
ちなみにこの頃はまだ雑貨屋さんで本を扱うなんてなかったんですね。だから実はこれって結構、いまにつながる小さな風穴プロジェクトだったなと自負してます。
◉2005年
すいとう帖というミニコミが
東京の本屋さんでえらく売れた時代
この本が出来上がるまでの顛末は新著「魔法をかける編集(インプレス)」にじっくり書いてるので、それを読んでもらうとして、とにかくこのミニコミ、六本木のTSUTAYAさんなど、都会の書店ですごく売れたんです。つまり、僕にとっては、書店でも直取引してくれる店があるばかりか、書店員さんの売り方次第では、売れる本になれるんだということを、この「すいとう帖」のお陰でちょっぴり体感できました。
◉2006年〜2009年
はじめて出版社さんと
取次さんのお世話になった「Re:S」に
全力注ぐ時代
なんといっても僕にとってこの「Re:S(りす)」は大きかった。ほんと何も知らないままに本の世界に飛び込んでしまった僕は、いよいよリトルモアという出版社のお陰で、取次さんの力を借りつつ、本を流通させるということを経験することになります。しかし、それはあらたに見えてきた疑問や違和感と対峙する日々のはじまりでもあったわけです。
当時Re:Sで僕がチャレンジした様々も、存分に新著「魔法をかける編集」に書いているので(ちょいちょい宣伝挟むよね)、読んでもらうとして、とにかく上述の画像から特集タイトルを見てもらうとわかるとおり、お金そのものをうたがって物々交換の旅に出たり、鹿児島まで行ってRe:Sを行商した「すなおに売る」なんて特集を組んでみたり、僕の足掻きは続いたのです。
で、今回いろいろ昔のフリペとか引っ張り出してたら、こんなものを見つけました。きっとこれ、雑誌「Re:S」を創刊するにあたって作った企業さん向けの案内だと思うんですけど、これを作ったこと、僕、完全に記憶から抹消してました。それがこれ↓
ここに書かれている、協賛願いが、我ながらイケてるんです。自分の文章なんだけど、こんなこと書いてたのね? とびっくりしちゃいました。
以下一部抜粋しますね。
僕は「Re:S」をもって、いったい何を作ろうとしていたのか? 今あらためて初心にかえるような思いです、はい。
◉2008年
ミシマ社の三島くんに出会っちゃって、
彼に任せればいいんじゃないかと思った時代
Re:Sを発行してくれていたリトルモア社長の孫さんから、取次を介さずにベストセラーを出すと息巻いているアホなやつがおるから会いにいけと、ミシマ社の三島くんを紹介してもらったんです。それでまんまと感動しちゃった僕は、書籍流通の古くてでかい壁を壊すのは片手間に出来ることじゃないから、自分なんかよりこれはもう三島くんに頑張ってもらうのが一番だと思ったんですね。つまりは僕ここで……逃げたね!
あ〜恐ろしい、振り返るとなんでもあからさまになっちゃいますね。ちょっと古い三島くんのブログみつけたから、言い訳がわりに、リンク貼ってやろうっと。 これ
◉2009年
とにかくRe:Sを
やめることにした時代。
これもまたいろいろ考えた結果なんです。そのあたりの理由も少し、新著「魔法をかける……」、もういっか。でもなんか、やっぱり三島くんに出会ったことは大きかったと思います、本当に。
で、ちなみにこれもまた古い制作物ひっかきまわしてたら出てきたんですけど、ちょっと見てもらっていいですか? 「オプスプレス」というフリーペーパーが「Re:S」を特集してくれたときの記事なんですけど、ほんと笑える。
リード文のところ抜粋しますね↓
って、つまりこれ、雑誌Re:Sの行商を僕たちは毎度やってたってことですね。平成の時代に行商がスタンダードの雑誌ってないでしょ? 自分でもびっくりやわ。ていうかこの時のライターさん可哀想。
◉2010年〜2011年
「ニッポンの嵐」で、
いきなりベストセラー編集者になった時代
これもちょこっと新著に書いてるんで経緯は端折りますが、Re:Sをやめてすぐに取り組んだ「ニッポンの嵐」という書籍が、発売直後に40万部とか売れて、もう正直何が何だかわからなかった時代ですね。嵐の人気すごいけど、ちょっとくらい僕もすごいのかな? って勘違いしそうな時代。
でもそんなことないってすぐわかったのが……
◉2012年
自著「ほんとうのニッポンに出会う旅」が、
思うほど売れなくてがっかり時代
勢いに乗って、自著も売れるといいなと期待したにも関わらず、あんまり売れなかったんですね。で、なんでなのか? を考えた結果、思い知ったのが、この記事の冒頭部分に戻るんですけど、MAX5000部くらいが初版部数の著者は、取次のよさを活かせない。って事実。
なんだったら「そもそも初版部数で売れゆきって決まるんじゃね?」という疑問が、僕のなかでむくむくと立ち上がってきた時代です。
このことはのちほど、もう少し丁寧に書きますね。
◉2012年〜2016年
秋田県発行の『のんびり』で
再びフリーペーパーの力を思い知る時代
そして僕は再びフリーペーパーの世界に戻ります。それが秋田県の「のんびり」。発行部数12,000部(途中増刷してもらった号もあり)が、最終的には全国2,600箇所に配布されたことと、その反響の大きさに、僕はあらためてフリーペーパーだからこそという流通のスペシャルを思い知るわけです。これはいわば僕にとっての原点回帰でした。
で、
◉2017年(いま現在)
著者自身が小さな取次になる!
そう決意した時代
全国の書店数は年々減っているとはいえ、それでも12,000店くらい。そこに初版6000部の本(これ結構多い数です)が、取次さんを通して平たく配本されてしまうと、広く行き渡ったとしても、各書店に1,2冊入っておしまい。すると当然、書店の棚にスッとおさめられて、目に止まらないままに返本。となってしまうのは想像できますよね。
ここで当然ながら思うのは、広く薄く配本されちゃうくらいなら、扱うお店の数が少なくても僕の本に興味をもってくれたり、売りたいと思ってくれる書店さんに、たくさん仕入れてもらいたい、ということ。もっと言えば、それが書店じゃなくてもいい。
だけど例えば僕の新著「魔法をかける編集」は、インプレスさんという大きな出版社さんで出していただく本なので、取次さんとのお付き合いのある書店さん、言い換えれば、取次さんに見えている書店さんにしか卸せません。理由はそういうシステムだからです。
だけど僕には、取次さんには見えていないお店が見えていて、この、僕には見えて、取次さんに見えていないお店を、僕(著者)自らがフォローすればいいと思うんですね。僕がなにゆえ、本抱えて全国ツアーをしようかと思ったかというと、要は、そのためです。
それに、さまざまな書籍をかかえる出版社の営業さんが、一冊の本のために全国くまなく営業してまわるなんてことはまず不可能。ならば、僕がいってきます! ってシンプルなはなし。
実は出版社の営業さんだって、例えそれが書店さんでなくとも、本を置きたいと言ってくれるお店に本を卸したい気持ちはもちろん一緒なんです。だけど何度も言いますが、それが出来ないシステムというか、取次さんとのお付き合い上のルールみたいなものが当たり前にあったりして難しいんですね。
そこで僕はもう、もはや僕自身が小さな取次さんになるしかないなと思いました。
なので私、藤本智士、
【著者】兼【自著専門取次】兼【営業担当】になります。
実際、7月21日からはじまる北九州ツアーには、レンタカーに、2種150冊ずつ積んで回りますからね!
いよいよ本題
ということでさあここからが本題です。旅先で僕に出会い、且つ、うちの店でも売りたい! と思ってくださった方は、僕から本を卸します。出版社さんと直接では難しい取引を、買切り限定ですが、僕(著者)を介して卸します(せめて5冊以上とかがいいな)。
だけど僕に会わないとダメですよ。
直接渡せないと送料かかっちゃうので。
でも当然、そんなのムズすぎる! なんとかして送ってもらえないか?! というお店の方もいらっしゃいますよね。そんな方のために、なんと版元のリトルモアさんが、ある程度の冊数以上であれば、特別価格で卸しますよという買切りパックを作ってくれました。
↓以下「風と土の秋田」の注文書です。
実はこれ、以前自著を出版した際にもリトルモアさんが作ってくれたんですね。そしたら本当にうどん屋さんとか、パン屋さんとかでも本を売ってもらえて、これはいいかも! って思いました。
しかし、そもそも直取引というのは、版元さんにとっては、煩雑な作業が増える割には利益も薄いので(だからこそ取次さんがいるわけです)、どうしても代引き限定だったり、事前振込限定だったりと、けっこうな縛りが出てきちゃうのですが、ご検討いただけるお店さんはぜひご注文ください。
ちなみに冊数の縛りは注文書pdfに書いてある通り7冊以上、
正直これ、ちょびっとハードル高いですよね……。
でも大丈夫! そういうときは全国ツアー中の僕を捕まえてください!
え? だから、それが難しいって?
じゃあイベントを企画して、僕を呼んでください!
ということで、
藤本を呼びたいぞフォームはこちら!
待ってます♡