発酵デザイナー 小倉ヒラク
発酵デザイナーという変わった肩書きを持つ彼は、ひょうひょうとした空気をまとって、すきま風のようにスッと会場に入って来た。10時スタートの講義で時計は10時1分。「家に忘れ物をして取りに帰ったら、あっ、少し遅れてしまってごめんなさい。」そう言ってスクリーンの真下の席に腰を下ろし、MacBookとプロジェクタを繫いだ。僕にはその登場自体がなにかの演出のように見えて、彼はきっと確信犯に違いないと思ったけれど、講義が進むに連れて僕はまさにそのことを確信した。彼から学んだことはいっぱいあるけれど、今回書いておきたいと思ったのは、彼の何が「発酵デザイナー」なのか? ということで、僕にはそれがとても面白くて伝えたいと思う。
「僕が話せることは3つあります。1つはデザインやクリエイティブの話。2つ目はコミュニティビジネスの話。3つ目は発酵の深い話。みなさんは今日どのへんが聞きたくて来てくれましたか?」と、彼は冒頭でお客さんに挙手をさせる。出会い頭の問いに会場のみなさんは最初少し戸惑いながら、それでもあらためて、うん、今日、自分はこういう話が聞きたくて来たのだ、と頭のなかを整理する。そして手を挙げる。
「あ、2番の人が多いですね。じゃあ、それをメインにして、1番と3番のお話を交ぜていきましょうか。」この手を挙げるという行為はとても能動的な行為だから、つまりは冒頭にして彼は、お客さんの希望に応えるようなふりをして、背もたれにかかる身体を少し前のめりにさせる。彼の話はとても面白く、隠せないクレバーさがとても心地よくて、会場のみなさんもどんどんその話に惹き込まれているのがわかる。すると突然「いまからお隣の人とペアになって3分間、互いに自己紹介してもらえますか?」と来る。何かの意図があるのだろうと、従順に従うお客さんたち。名前や職業、なぜ今日参加したのか? そんな話を偶然隣に座った方と互いに聞き合っている。「はい、時間でーす。終わってください」そういうと、何事もなかったかのように次の話へ。そうやって彼は自分のペースへとお客さんを巻き込んでいった。
ちなみにこの自己紹介というやつ。僕もよく感じるのだけど、こういった、デザインとか編集とかまちづくりとかの類いのイベントに来る人たちというのは、何かを得たい一方で、自らを語りたい欲望や、共有したいという欲望を抱えている。それを一つ一つ聞いていくことは、お客さんの満足度を上げることになるのだけれど、それを一人一人フォローしていたら時間がない。そこでお客さん同士を一対一にして、他人と共有させていくという方法は、最終的なお客さんの満足度を高めるにはとても有効だ。しかし彼の場合、そこに一番の意味があるとは思えなかった。
いやなことはしない。様々なものから逃げてきた。具体例とともに自身のこれまでを語る彼は、さらにその後、お客さんに再度指示をする。「先ほど自己紹介しあったペアで、今度は自分がこれまで何から逃げて来たか? 三分間話してみてください」先ほど挨拶を済ませたペアは、明らかに最初よりも饒舌に自らを語り出し「ちょっと盛り上がってるようなので、一分延長します」と彼が言う。明らかに会場の温度は上がっていた。
とどめは発酵デザイナーとしての最近の代表作「こうじのうた」の映像を流したときのこと。うたと踊りで「糀-こうじ-」が理解できるという秀逸なアニメーション映像を見せながら、最終的にその振り付けを一緒に覚えて踊りましょう。という展開。3分×2回の会話であたたまったお客さんたちは、それほど躊躇することなく立ち上がり、数分で振り付けの流れを覚え、最後は実際の映像に合わせて踊ってみる。踊ってみると意外に曲のスピードが速く、思いのほか追いつかない身体にみんなが笑顔になっていた。
と、ここでこの前日のお話を少し。そもそも今回僕は、長野県諏訪市で開催された「まちの教室」という企画に発酵デザイナーの小倉ヒラク君とともに講師として呼んでもらっていたんだけれど、元々諏訪の町が好きな僕は、一日前乗りして、全国的に有名な日本酒『真澄』の宮坂醸造さんの蔵見学をさせてもらっていた。蔵を案内してくれたのは、三代目蔵主、宮坂直孝さんを父に持つ宮坂勝彦くん。某百貨店で修行をし、いまは積極的な海外流通を進めるべく日々飛び回っている若き蔵人で、色んな人から噂を聞いていた彼に会ってみたいという気持ち半分、日本酒業界に知らないものはいない「醸造協会酵母7号」通称七号酵母誕生の地を見てみたい気持ちが半分。そんな蔵見学だった。工程の複雑さもあってなかなか理解しずらい酒造りをわかりやすく説明してくれる勝彦くんの語り口は絶妙で、まずはそのことに感動。酒造りにおいて肝となる「糀室-こうじむろ-」に入らせてもらったときも、勝彦くんは糀づくりの工程について丁寧に説明してくれた。冬場でも唯一あたたかい糀室はしっかりと温度管理がなされ、最初は菌がいきわたるようにかき混ぜたり、しっかり寝かしたりと、糀菌の繁殖を促すべく手をかける。そうやって少しずつ糀菌が活発になっていくと同時に、人間がなにもしなくとも米の温度は自らどんどんと上がっていく。糀づくりの話から、酒造り全体を通して言える「常に微生物の働きの手助けをしているに過ぎない」という精神を強く感じた僕は、糀室の時間がとても印象に残っていた。
さあ、ヒラクくんの講義の話に戻ろう。そう彼はお客さんを微生物の固まり、もっと言えばまるで糀そのものだと思っていたに違いないと、前日真澄の蔵見学をしていた僕は思っていた。菌をふりかけ、かきまわし、自ら温度を上げる環境を整えさえすれば、会場の温度はどんどんと上がっていく。それを証拠に二時間の講義の後半半分は質疑応答。その質問の活発なこと! 次々に挙る手が、僕には自らヒントを見出し、その核心へ到達させようと必死で伸びる菌糸に見えた。そういう意味で小倉ヒラクというやつは、発酵デザイナーなのだなあと思った、っていうそんなお話。
いい友達ができたなあ、ヒラクくん、また一緒にお酒飲もうね。
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