編集者と写真家が重なる瞬間
平間至 写真展 『すべては、音楽のおかげ Thank you for the photographs!』を観るべく、
美術館「えき」KYOTOへ。
平間さんに初めてお会いしたのは、2006年だったかと追う。その年に出した雑誌『Re:S』の特集記事「フィルムカメラでのこしていく」を読んでくださったようで、富士フイルムの知り合いを通して、平間さんご本人から連絡をいただいた。
当時既にデジカメ全盛の時代にあって、平間至さんをはじめ第一線で活躍されている写真家さんたちが、銀塩写真やフィルムカメラの価値について発信する「ゼラチンシルバーセッション」というプロジェクトを立ち上げられていて、そのトークセッションに出てもらえないかという、とても光栄なお声かけだった。その打合せのために平間さんの事務所に訪れたのが一番最初だった。
もちろんこちらは、NO MUSIC , NO LIFE?の写真をはじめ、平間さんの作品をさまざま目にしていたので、そんな平間さんからお声かけいただけたことがとにかく嬉しく、緊張しながらも幸福な時間を過ごさせていただいたことを覚えている。
その後、僕はずいぶん平間さんに甘えさせてもらって、自ら企画した「アルバムエキスポ」(2009年、2010年)というイベントの監修をお願いしたり、編集長をしていた雑誌で何度かインタビューさせていただいたり、それはそれは色々とお世話になった。
2011年の東日本大震災を受けて、浅田政志くんと一緒に東北沿岸部の写真救済の現場を取材をしていたときも、被害が大きかった塩竈の状況とともに、塩竈ご出身の平間さんの動向もとても気になっていた。
震災後、故郷塩竈でガマロックというフェスを立ち上げ、精力的に被災地支援を行っていた平間さんだったけれど、知らず蓄積された大きな負荷と疲労に、ついに倒れられたと聞いたときは、とても心配だった。復帰後、とてもお痩せになった平間さんの姿を拝見したときは、胸が締め付けられるような思いがした。
展覧会では、まさにその療養中に自らプリントされたというモノクロ銀塩プリントが並ぶコーナーがあり、そこに真っ直ぐ在る光と影のバランスに、僕は生きるとか、人生とか、世の中とか、運命とか、真理とか、そんな、どうしたってコントロールのしようのない社会と個人の境界が、写真となって現れる瞬間の秘密を垣間見たような気持ちになった。
そして、それらの写真に添えられた平間さんの言葉にハッとした。
僕にとって平間至さんは、常に、写真とは何かについて思考を深めさせてくれる、とても大切な存在だとあらためて気付き、背筋が伸びる思いがした。
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平間至さんは、宮城県塩竈市の写真館の3代目としてお生まれになった。しかし、僕が平間至という名前を認識したのは、MOTOR DRIVEという、連続シャッターを可能にする装置の名がついた写真シリーズだったように思う。水の流れを見るような、人物の動きを捉えた写真に、もはや動画のごとき躍動を感じるその写真たちは、ご本人がそう語るように、たしかに写真館という稼業への反発だったのかもしれない。
当時を振り返り、平間さんは展覧会冒頭の挨拶のなかで、こう語られている。
展覧会の構成は、平間至の名を世間に知らしめたMOTOR DRIVEシリーズから、流れるように田中泯さんの場踊りシリーズへ。からの、タワーレコード「NO MUSIC , NO LIFE ? 」に代表されるミュージシャンポートレートへと展開される。
誰もが一度は目にしたことのあるだろう写真がこれでもかと並ぶ姿は圧巻だった。
それら一つ一つに、僕はこの一枚が選ばれる向こう側の被写体と平間さんにとのセッション的LIVEパフォーマンスを想像してしまって歩みが進まなくなってしまった。
アーティストと即興的に取り組みながらも、結果、その写真がアー写的に僕らのアーティストイメージとして強く記憶に残っていることを確認するほどに、撮影現場における平間さんの対峙力と瞬発力にひれ伏しそうになった。しかし、そのように現場で軽やか且つ確実に芯を掴むそのテクニックは、平間さんが青年期反発した写真館のテクニックそのものだ。
「人物を静止させて撮影することに疑問を持ち、自由な撮影とは何かを模索し続けた」
そう語った平間さんが再び自身のルーツに回帰するダイナミズム。最高過ぎる。
展示としては、これらアーティストのポートレートたちに続き、先述の震災後の静かな銀塩プリントが並び、その深い闇から徐々に光が差すかのように、写真が展開され、その光の正体がついに浮き彫りにされる。それが、最後のコーナーにある「ひらま写真館TOKYO」の写真たちだ。
僕は一人の写真家の壮大な物語と、そのエンディング(あくまでも展示としての)のハッピーさに、泣きそうになった。当たり前だけれど、展覧会に飾られた全ての写真が地続きだった。
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僕も実は「りす写真館」というイベントを続けていたことがある。雑誌『Re:S』でパートナー的に日本中を旅し続けたカメラマンの伊東俊介の思いに共感し、立ち上げたフィルムカメラ撮影&銀塩モノクロプリントの移動写真館プロジェクト。いまもなお「いとう写真館」として、伊東俊介がライフワーク的に続けており、既に15年以上が経つ。
僕は編集者だ。編集者の仕事の多くは言葉で語ることだけれど、僕は何故か写真というものに惹かれ続けている。何年も何年も写真の価値ついて考え続けている。その理由に、今回の展覧会は気づかせくれた。
それは、
編集も撮影も、その輪郭と芯が同じだからだ。
僕の中でそこに境界はない。
RGB(Red、Green、Blue)三つの原色が重なることでカラフルな像が浮かび上がるように、写真と言葉は互いが補完し合う関係であるけれど、そうやって補完し合うためには、輪郭と中心部が同じであることが条件だ。
僕は、平間さんのアーティストポートレートを拝見していて、僭越ながら僕がインタビューで常に大切にしている3つと同じものを感じた。
その3つとは、
①取材相手をリスペクトしていること
②いまこの瞬間に向き合うこと
③そして楽しむこと
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