推しの結婚を祝えるか
推しの結婚を祝えるか。
推し活の上で最大のテーマと言っても過言ではない。
ここで一つ言っておきたいのは、結婚(熱愛)を祝えるからといって、それが「本当のファン」という証明になる訳ではないこと。あくまでも私個人の考えだけれど。
だから「推しの幸せを願えないなんて本当に好きって言えるの?」という心無い声に対しては真っ向から立ち向かうつもりだ。拳で。
好きの形は人それぞれ、推し方も人それぞれ。
前提として、自分の価値観を他人に押し付けるのは違うよね と思う。
推しの結婚。ファンにとっては、解散や引退に次ぐ大イベントだろう。
担降り、ペン卒、いろんな言い方があるけれど、この先もその人を推し続けるか考える機会になるのは間違いない。
ファンというのは全員が平等の立場にある。
推してきた年数やかけてきた金額によって差はあるとしても。
(年数や金額で差が出るのはもう仕方がない。時間は巻き戻せないし、元々お財布の厚さには差がある。)
推しのことが大好きで、彼らが気まぐれにくれるファンサを全て自分に向けられたものだと思いこみ、彼らの言動に一喜一憂する…それがファン。
「ファンのおかげだ」
「みんながいてくれたからここまで来れた」
「辛い時に支えてくれたのは皆さんです」
ファンを1番に思ってくれる推し。
自分たちがもらった賞を「ファンのものだ」と言ってくれる推し。
嬉しいね。誇らしいね。自分たちの応援が彼らの力になっているかと思うと、彼らが辛い時の支えになっているかと思うと幸せだよね。
ファンって単純なんだよ。
推しが結婚することの何が嫌かって、今まで全ファンに平等に分け与えられてきた愛が特定の1人に向けられることだ。
「ファンが支えてくれたおかげだ」という言葉の裏に、プライベートで支えていた女の影を感じてしまう。
私がスマホの中で踊る彼に見蕩れている間に、オフの彼と言葉を交わし仲を深めていたとでも言うのか。
ずるい。ずるいずるいずるい。
ライブ中のヘアメイクさんにも嫉妬するというのに、プライベートで推しと恋愛関係に発展する女など許せるわけが無い。
幸い私の推しはまだ結婚していない。
「幸い」からもわかると思うが、きっと私は推しの結婚を祝福できない派だ。
こればっかりは実際にその時が訪れてみないとわからない。けれど、ここまで読んでくれたあなたならもう想像つくよね。
私は推しの結婚をきっと祝えない。
熱愛報道も見たくない。匂わせなんて論外。
でも受け入れたいとは思う。努力はする。
それでも受け入れられなかったら、泣きながらファンを辞めるだろうな。
推しは私の人生に多大な影響を与えている。
歌は私を支えてくれた。
言葉は自分を愛す大切さを教えてくれた。
推しが心無い言葉に晒された時は自分の事のように傷つき、心配して、「僕は大丈夫」と言ってくれることに心の底から安堵した。
私は推しの人生に何の影響も与えないどころか、認知されることすらなく、彼らが眺めるペンライトの星空を構成する一つの星に他ならない。
それでも私はあなたの幸せを願っています。結婚は祝福できないかもしれない。ごめんなさい。
それでもあなたが本当にその人を好きで、その人から愛されて、毎日を幸せに過ごせるというのならそれでいいです。
それが私だったらいいな、なんて叶わない望みを口にして。