「鶯の初鳴き」前線(北上)もあるのか
三月最後の週に自宅前の小路で孫娘5歳の
自転車乗りの稽古に付き合っていた。
先週は、パパの赴任に帯同、エジプトに家族で赴任した孫たち
(男の子7歳と6歳)の自転車乗り稽古を見てきたところだ。
時代は変われど自転車乗りが子供時代の成長のステップの
大事なシーンであることは変わらない。
行動範囲が飛躍的に広がり、子供世界も大きく広がる。
子供にとっては夢のようなもの。
今回は孫娘。
小さく生まれたこの子は、両親の血をしっかり受け継ぎ、
負けず嫌い・集中力の鬼のようなところがある。
自転車の補助輪をとって、自分の足で勢いをつけてスピードを増し
何度も漕いでいる。
そのうち自転車を2,3歩ペダル漕ぎ出したかと思うと
あっという間に自転車は滑るように走り出す。
見てごらんと自慢そうに見せる孫娘の笑顔がまぶしく、たのもしいと
見ていたらば、住宅街のどの方向からか鶯の鳴き声が聞こえてきた。
そういえばここ2-3日朝早く、鶯の声が聞こえていたなと
思いだす。
「けきょ・けきょ」とお世辞にもうまくない鳴き声が
1-2日間聞こえていたのが、ここにきて上手な鳴き声に変わってきた。
鶯も「けきょけきょ」と鳴き方を何日か続けて一人前になるのだなと納得。
鶯と言えば、子供の頃東北の実家での出来事が蘇る。
窓が開いていた2階の部屋にどういう訳か鶯が飛び込んできて、
親父が捕まえては鳥かごに飼っては楽しんでいたことがあった。
くすんだ黄緑色の姿を見たのは
それが最初で最後だ。
与えた水・餌が悪かったか飼い方が合わなかったのか
何日かして死んだ。毎日小学校が終わると飛んで帰っていたが死んだ鶯の
横たわっている姿が何かを訴えていた。
自然のものは人間が勝手に扱ってはいけないもの。
結婚して、子供たちが八ヶ岳の山小屋で虫を追いかけていたら、たまたま捕虫網の中に国蝶オオムラサキが入ってきて、これも鳥かごに飼って砂糖水を与えて数日観察したあと、死なす前に自然に返せたのはよかった。
さて、鶯。
姿を見せないで鳴き声だけで楽しませてくれる。
昨年は猛暑の夏に鶯の声を聴く機会があって、
「夏鶯」という俳句に季語があるのも知った。
聞けばバードリサーチ会の方々が、毎年鶯初鳴き観測のデータを提供してくれている。之だと東京地区は毎年1月後半から
初鳴きが観測され、次第に聞く機会が増えていく右上がりカーブを教えてくれている。基本山里がその観測地であろう、
ここ国立の住宅地では3月後半に観測できた。
毎年この頃に初鳴きが聞ける記憶だ。
駅に向かって歩く道すがらちょっとした藪がある。
そこは決まって鶯の声が聞ける場所だ、
姿は見えねど鳴き方の共演に出会う。
富士山を見ながらしばし鶯の声を聴く一時を楽しめる。
姿を見せない鶯たちよ、
これから毎朝、今日はどういう鳴き声を聞かせてくれるのか、
楽しみとなって久しい。
鶯の鳴き方がどのように変わっていくのか、
それが鶯自身の成長であり
孫たちの成長とも重なり、いとおしい。