月見里(やまなし)の魅力にひかれて

長女が生まれた翌年、家族で自然の中で過ごす時間を持ちたいと
山梨の八ヶ岳南側に土地を探しました。
初めて訪れた山梨県。中央本線で小淵沢、小海線に乗り換え甲斐小泉、大泉と雪の中長靴はいて探し回った。
縁があって大井が森という森の中に、わが家族には適当な小さな区画を見つけ、そこに平屋で赤い屋根の小さな別荘を建てました。

この山小屋は、東京から130kmで中央道で車で2時間弱の道のりですから、いつでもアクセス可能、子供たちが小さい時は春夏秋冬―3連休には必ずと言っていいほど訪れてはテレビのない自然の中で子供たちを遊ばせました。

建屋が経った頃は、野鳥たちが自分たちのテリトリーとばかり、雨戸の隙間を見つけてよく巣を作っていた。子供たちがオニヤンマを捕虫網で追いかけ、知らずに国蝶オオムラサキを捕まえてきてしばらく砂糖水を与え飼ったあとでいけないことと家族全員で知ったり。

家の床の下からウシガエルが出てきて驚き、堂々と湿地の方にどすどすと飛んでいく(歩きかな?)のを家族で呆然と眺めいたり。
寒い季節の楽しみ方や、つつましく不便な生活を
家族全員で味わいましたが、成長した子供たちにはどこまで記憶に残るもんかわかりません。

今は老夫婦で、35年以上たったこの陋屋で、自らの老体を癒すかのように
傷んだ個所を手入れしながら自然に没入できる時間を持てたことに感謝し、庭にある腰曲がった白樺の木を見ては「同胞、頑張れよ」と声をかける。
家の周りにあった100年を超す赤松3本を松くい虫対策で切り倒したときは悲しいの一言。自然の中では仕方のないこと、
自然と向き合い、その生き方に従うこの地を気に入っています。
子供たちの好きだった「赤い屋根」のリペイントも必要ですが、いつできるのか、“WANT TO LIST”に入れて、将来の楽しみにしてあります。

暫く住んでいると、朝の目覚まし代わりの鶯たちの鳴き声も様々で、下手な鶯がいるのに笑ってしまいます。求愛や縄張りのためのスタンダードの鳴き声も、彼らは練習するんだそうです、
初めて知りました。
従い「ホキョ」で終わるような不器用な鳴き声の場合は、ああまだ練習中の若鳥なんだと思っていただければいいのでしょう。

コロナ期間中には、リモート生活志向の若い世代が山の中にマイホームを建てる方々を見かけるようになりました。本来別荘地の中に通常の家が建つのは、昔なら歓迎されないところ、ああコロナなんだと納得しています。
家が接近してきても家族それぞれが時期をずらしながら、マイホームランドとして自然を100%堪能できるのがいいところなんです、
常住組が増えて景色が変わるのかな。それも時代のなせるところでしょうか。

山梨や甲府と言えば信玄公。
35年も前でしょうか、「信玄祭り」で甲府市を覗いたきりで、町の近くの美術館でミレーを鑑賞した記憶しかありません。
最近ジョインしたガイド会―歴史探索グループのお陰で知った武蔵国分寺ですが、全国国分寺の甲斐の国の場合は笛吹市にその寺跡が残っているようで、ワイフの了解がもらえればいつか訪れたい一つです。上記のLISTに入れておきます。

最近は乗馬好きのワイフの影響で、小淵沢の乗馬クラブで練習を始めました運動神経の無い身ですが、まず馬が好きになれそうです。
自分の人生振り返ると動物やペットとの暮らしには縁がなかった。
小学校の時に仲間といたずらして大き目の犬にかまれて以来、犬嫌いだったが、40を越してパキスタンの自宅バンガローで番犬用に飼ったジャーマン・シェパード(ブラウニーと名付けて)がいわば初めてのペットでした。4年近く一緒に暮らし、犬をかわいがる喜びを知りました。

それ以来のことですが、乗馬場では、乗る馬を毎日変えてくれるので、それぞれ個性のある馬たちとのコミュニケーションが今は楽しいです。
目と目があった時に示す馬の表情は何とも言い難い楽しみ。
乗馬のほうは速歩(はやあし)の壁にぶつかり、
進歩せずにワイフに笑われていますが、古稀過ぎの新しいチャレンジとなり燃えています。
そのうち立ったり座ったりのリズム会得に挑戦します。最近はワイフの尻の皮がむけそのあとは坐骨神経賞もあって、乗馬は一休み。

かねてから行こうと思っていた、宮沢賢治の風の又三郎の元ネタになったという、八ヶ岳おろしと「風の三郎社」探しを始めました。
北杜市高根町というか清里の名前が通りがいいでしょうが、その山の中に、敗戦時までこのあたりで続いていた三社詣りがあって、その一つに八ヶ岳颪とその風対策で民が建てた三郎社があります。今日は見つけられず日吉神社という晴天を祈願する3社の中の一番大きな社を嫌がるワイフと詣でました。三郎社はまたの機会に行きます。
月見里を訪問したことのない、東北岩手出身の宮沢賢治がなぜ風の又三郎に行きついたかは本人の弁がないのでわかりませんが、彼の山梨にいる友人(詩人)が、賢治に銀河鉄道に繋がる山梨の夜の空の美しさやハレー彗星や八ヶ岳颪の三郎社詣りを教えたというのがその強い根拠の一つになっています。

星のきれいなこのあたり、昔幼いころの長女が頑張って大き目の望遠鏡を抱えて山の中に入り、家族一緒に大地に寝そべり眺めた星空の美しさは、まさに降るような星々の世界で、それは今も維持しています。残していきたい良き月見里。


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