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夢追い虫

美人じゃない 魔法もない
バカな君が好きさ
途中から 変わっても
すべて許してやろう(夢追い虫/2001)

こんな無条件の愛の吐露があるだろうか。

私が30年以上聴き続けているアーティスト、「スピッツ」の楽曲だ。

この曲に何度慰められたことがあっただろう。

自分にはなにもない。そんな自分でも生きていいと、好きだと言ってくれる。

私には本当に大切な曲なのである。

この曲を聴くとふと思い出すことがある。

私が、小学5年生だったときのこと。

私は、障害のある同年代の子どもと一緒にキャンプをする「ふれあいキャンプ」に放り込まれた。

私の両親は、ダウン症の兄のこともあって、このキャンプで私に障害に対する理解を深めてもらいたいと思っていたようだった。

私は5~6人ほどの班の班長になり、知的障害のある女の子とペアになった。

その子は、このキャンプに放り込まれたことが、心の底から、不本意だったようで、ずっと私の髪の毛を力いっぱい引っ張って、自分の悲しみや怒りをキャンプのはじめから最後まで表現していた。

「あなたにはその達者な口がある。でもお兄ちゃんはどんなに悲しいことがあっても言葉にできないことがある。」

両親がよく私に言っていた言葉だ。

髪の毛の束をごっそり引っこ抜かれても、私はただ、力弱く「やめて。」としかその女の子に言えなかった。

このキャンプに放り込まれた世界最大の理不尽をその女の子と同じくらいに感じ、心底同情していたのは、私だった。

キャンプの最終日、その女の子は、迎えにきた女の子の母親に手をひかれながら、私のほうを振り返って、ニタッと笑って、手をばいばいした。

きょうだい児によくあるように、両親に心配をかけまいと私はずっと飛びぬけた優等生だった。

もっというと、そうでないと自分に生きている価値はないと大人になってもしばらく本気で思っていた。

自己否定感の強かった過去の私は、近づく男性にすぐ身をゆだねた。

そう、魔法使いでもなかった。

そんな私がずっと欲していた愛の言葉をスピッツの夢追い虫は何事でもないかのようにさらっと歌い上げ、キャンプのあの女の子がその曲を思い出させるのだ。

あの女の子が生きていくなかで感じた理不尽や悲しみ、怒りを私ほど共感できた人間はいなかったのではないか。

障害があってもなくても、欲しているのは無条件の愛だ。

私たちがずっと欲していた愛は本当にシンプルなものであるのではないか。

私のこの悲惨なふれあいキャンプ物語も、今思い出すと、不思議とおかしみのほうがこみあげるのである。

ニタッと最後に笑ったあの女の子に対しても。





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