言語は思考の牢獄か、解放の翼か?:コミュニケーションツールとしての言語の可能性
「我思う、故に我あり」。哲学者デカルトの有名な言葉。思考こそ人間の存在証明だと宣言している。しかし、私たちはどのように思考し、どのように他者と共有するのか?近年、神経科学や認知科学において「言語は思考よりコミュニケーションのためのツール」という見解が注目されている。これは従来の「言語は思考を媒介する」という考え方とは異なり、思考の根源、言語の役割に新たな光を当てる。ここでは、Fedorenko, Piantadosi & Gibson(2024)の論文を主要な参照元として、この議論を掘り下げ、思考とコミュニケーション、言語の進化という壮大なテーマを紹介、探求する。
言語の神経基盤:思考とコミュニケーションの分離
人間の脳における言語の神経基盤について、近年、脳機能イメージング技術の発展により、言語処理に特化した脳領域の存在が明らかになった。Fedorenko, Piantadosi & Gibson(2024)はこの言語ネットワークが単語の意味や文法構造の処理を担い、言語理解と生成の両方に関与すると指摘する。重要なのは、この言語ネットワークが思考や推論などの非言語的認知機能を担う脳領域と明確に分離している点だ。
数学的推論、論理的推論、問題解決、コンピュータコードの理解、心の理論など、高度な思考を必要とするタスクは言語ネットワークをほとんど活性化させない。これらのタスクは、言語ネットワークとは異なる、前頭葉や頭頂葉などの脳領域で処理される。
失語症患者の研究からも、言語と思考の分離を示唆する興味深い知見がある。失語症とは、脳損傷などにより言語能力に障害が生じる状態。重度の失語症患者の中には、言語能力が著しく損なわれているにも関わらず、数学的問題を解いたり、非言語的な指示に従ったり、論理的推論を行ったり、他者の意図を理解したりできる例が報告されている。これは、言語能力が思考や推論に必須ではないことを示唆する。
言語と思考の分離を示す証拠は、脳機能イメージング研究と失語症患者の研究の両方から得られており、言語が思考を媒介するという考え方に疑問を投げかけている。
コミュニケーションのための効率的なコードとしての言語
もし言語が思考を媒介するものではないなら、その役割は?Fedorenko, Piantadosi & Gibson(24)は、言語はコミュニケーションのための効率的なツールとして進化したと主張する。効率的なコミュニケーションコードとは、生成と理解が容易で、ノイズに強く、学習可能なもの。驚くべきことに、人間の言語は、音声言語であれ手話であれ、以下のとおり、音、単語、文法など、あらゆるレベルでこれらの特性を示す。
音のレベル。言語音は音声空間内で分散しており、ノイズによる情報劣化の影響を受けにくい。言語音は発話器官の構造や発話環境などの要因にも影響を受け、発話しやすい音や聞き取りやすい音が優先的に選択される傾向がある。
単語のレベル。言語は短くて効率的な単語を優先的に使用し、高頻度語や情報量の少ない単語はより短い傾向がある。これは単語の想起と生成を容易にし、発話のコストを削減するためと考えられる。
意味のレベル。単語は複雑さと情報量のトレードオフを最適化している。例えば親族用語は、家族のメンバーを正確に特定する情報量と、その意味を習得・記憶する複雑さのバランスをうまくとっている。
文法レベル。言語はコミュニケーションの効率性を最大化するために進化したと考えられる。特に、単語間の依存関係の長さを最小化する傾向は、世界中の言語で見られる普遍的な特徴。依存関係が長いと文の生成と理解が困難になるため、言語はできるだけ依存関係を短く保つように進化したと考えられる。
これらの言語の効率的な特性は、言語が思考のためではなく、コミュニケーションのために進化してきたとする見解を強力に支持する。言語の複雑さは、思考を反映したものではなく、コミュニケーションの必要性と制約の中で進化してきた結果かもしれない。
言語と思考:ヒトと動物における比較
言語と思考の関係について、ヒトと他の動物のコミュニケーションシステムを比較することは示唆的である。動物のコミュニケーションは、多くの場合、特定の状況や行動に結びついた限定的なシグナルのやり取りとなる。一方、人間の言語は抽象的な概念や複雑な思考を表現することができ、時空を超えたコミュニケーションを可能にする。
この違いはどこから生まれるのか?一部の研究者は、言語の獲得こそが人間の高度な認知能力の鍵だと主張してきた。言語を獲得することで、抽象的な概念を操作したり、複雑な推論を行ったりすることが可能になるというわけだ。しかし、前述の通り、脳機能イメージングや失語症患者の研究は、言語能力と思考能力の分離を示唆する。
さらに、言語を持たない動物(霊長類、カラス、ゾウ、頭足類など)でも、高度な問題解決能力や推論能力を示す例が数多く報告されている。これらの知見は、言語が思考のための必須条件ではないことを示唆する。
むしろ、言語と思考は並行して進化してきたと考えられる。言語の進化は人間のコミュニケーション能力を飛躍的に向上させ、文化の伝承や知識の蓄積を促進した。そして、その過程で人間の思考もまた、より複雑で洗練されたものへと進化していった。
言語:思考の牢獄か、解放の翼か?
最後に、言語と思考の関係をより大きな視点から捉え直す。「言語は思考を規定する」という見解は、ある意味で「言語は思考の牢獄」であるという考え方と言える。私たちが思考できる範囲は、言語によって制限されているというわけだ。しかし、逆に「言語はコミュニケーションツール」という見解は、「言語は思考の解放の翼」であるという考え方に通じる。言語は、思考を他者と共有し、共感を育み、新しい知識やアイデアを生み出すための強力なツールとなる。
言語は、単なる情報伝達の手段ではない。私たちは言語を通して、感情、価値観、文化、歴史など、人間の精神世界のあらゆる側面を表現し、共有する。言語は、私たちを「我思う」という孤独な存在から解放し、他者とのつながりの中で生きる社会的な存在へと導く。
もちろん、言語は万能ではない。言語によるコミュニケーションは誤解や偏見を生み出す可能性も内包している。しかし、言語の力を適切に理解し使いこなすことで、私たちはより豊かで深い思考と、より円滑で創造的なコミュニケーションを実現できるだろう。
まとめ
本コラムでは、Fedorenko, Piantadosi & Gibson(2024)の論文を主要な参照元として、「言語は思考よりもコミュニケーションのためのツールである」という見解について考察した。脳機能イメージングや失語症患者の研究、言語の効率性、ヒトと動物の比較など、多角的な証拠から、言語と思考の分離が示唆されている。
言語は思考のための必須条件ではなく、コミュニケーションのための効率的なツールとして進化してきたと考えられる。言語の進化は、人間の文化と認知能力を飛躍的に発展させた。言語を通して、私たちは知識を蓄積し、文化を伝承し、複雑な社会を構築してきた。そしてこれからも言語は、人間の創造性と社会性をさらに拡張していくための重要なツールであり続けるだろう。
言語は、思考の牢獄ではなく、解放の翼。私たちは、この翼を使って、どこまでも高く、遠くへと飛翔していくことができる。
参考文献
Fedorenko、 E., Piantadosi, S. T., & Gibson, E. A. F. (2024). Language is primarily a tool for communication rather than thought. Nature, 630(7990), 575–586.