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ゆきてかえらぬ

映画が好きです❤️

タイトルは「後戻りすることの無い」という意味らしい。

中原中也(木戸大聖)が京都の学校で学ぶ17才の時に出会った長谷川泰子(広瀬すず)との恋愛と、中原の親友である小林秀雄(岡田将生)との三角関係を描いた物語である。

無知な私は中原中也と言う人物を知らず、映画が進むうちに、『そういえば中原中也という詩人がいたような・・・』と思い出した位で、特に思い入れは無かった。

しかし詩人だと分かってくると、その文筆家特有の喜怒哀楽の高低差に次第に泰子が振り回されていく様子に同情してくる。そこへ小林からの告白で『あぁ、やっとこれで泰子は幸せになれる』と思いきや、小林との同棲生活で泰子はノイローゼとなった。

このノイローゼという言葉を久しぶりに聞いた。昭和生まれの私は幼いころ、ノイローゼとは何か?とずっと恐怖であったが、周りの大人にこの言葉を的確に説明出来る人がおらず、とにかく人が狂ってしまうらしいという漠然とした恐怖だけが私の中に存在した。そのうちにこの言葉は使われなくなった。

精神疾患を一括りにノイローゼと呼んでいたそうだが、今は精神疾患も分類が進み、ノイローゼでは範囲が広すぎる為に使用されなくなったようだ。

とにかく長谷川と小林の生活は長くは続かなかった。

やっと中原から解放されたのだから長谷川は小林に溺れるであろう。
二人は貪るように相手を求めあうだろうと期待したのが、やはり小林も文筆家であった。制心の強い男・・・いや、自分のことが1番好きな男かもしれない。

そんな小林の愛し方に狂っていった長谷川は中原とよりを戻すのか?と思いきや、中原は遠縁の女性と結構し男子を授かる。

だが、最愛の子は生まれて間もなく無くなってしまう。

失意に苦しむ中原自身に結核菌が襲いかかり、それが脳へと移って脳膜炎を発症し、気が狂ってしまう。

この作品では、結核菌もまたキーワードとなるように思う。

大正時代の風俗や時代が美しく映し出され、見ている側を大正へタイムスリップしてくれるが、恋愛、略奪愛、偏愛、愛憎と愛を語りたかったのならば、それはイマイチ踏み込みが足りなかったように思う。

中原中也という詩人を描きたかったのか?と言えばそれも浅く、私は帰宅してからウィキペディアで中原中也と言う人物を詳しく知った。

何が描きたかったのか・・・。

広瀬すずの美しさ。

確かにすずちゃんは美しかった。

大正時代の流行が良く似合っていた。

そして木戸大聖という役者さんも素晴らしかった。

品があって、中原の奇行と育ちの良さのアンバランスさを見事に演じていた。

岡田将生さんの演技もとても良かった。
3人で居る時、中原と長谷川のやり取りを見守る小林役が岡田さんで良かったとスクリーンから人の良さが滲み出ていた。

ん〜、キャストや演出が素晴らしかっただけに脚本が残念だったな〜と素人ながらに感じた。

何が言いたかったのかが分からない作品だった。


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