ホドホド

友達にカレー屋さんに連れて行ってもらった。今住んでいるところの駅周辺には魅力的なお店がたくさんあってとっても開拓したいのだけれど、如何せんお金がないものだからなかなか行けていなかったのでとてもワクワク。ナンめちゃくちゃ美味しい。久しぶりの外食の感動と、中辛の思いもよらない辛さに心躍り、幸せを感じた、、。思わず食べ過ぎてしまったよ。1枚だと足りないけど2枚だとキャパ超えますね。程々がいいね。ビールも奢ってもらっちゃった。ありがとう。

ところで。人間は多分みんな何かに頼っているはず。一人で生きている、自立している、と思いきや、必ずどこかで人や物やサービスにの力を借りることになる。これは当たり前だと思うし、見失いがちだけれど、忘れてはいけない。けど、頼り過ぎも危ない。難しい。
「依存」という言葉がある。人に依存するとか、ものに依存するとか。僕はこの言葉がとても嫌いだ。それは、今まで誰かのことを、その人がいないと生きていける気がしないってくらいまで頼りに頼っていた自分への嫌悪感と、好きなことや大きな野望に立ち向かい誰にも頼らずに生きている(ように見える)人に対しての劣等感からくる感情なのかなって思う。小さい。

何かに依存しないと生きていけないのに、何かに依存している自分が嫌になってしまう。よくわからないなあ本当に。依存はいいこと?よくないこと?よくわからない時は、辞書を引いてみる。辞書を引くと良いことが2つ。1つ目は、その言葉の本当の意味を知ることができること。2つ目は、なんか調べたり考えている雰囲気がでてかっこいい。

【依存】
他に頼って存在、または生活すること。
(goo国語辞典 https://dictionary.goo.ne.jp/word/依存/)

先述した、人はみんな何かに頼って生きている、っていうのとほぼ同義。依存っていうのは悪いことではなくて、当たり前の行為なのかな。

ついでに。

【依存症】
ある物事に依存し、それがないと身体的・精神的な平常を保てなくなる状態。アルコール依存症のような物質に対するものと、インターネット依存症のように行為に対するもの、共依存のように人間関係に対するものがある。
(goo国語辞典 https://dictionary.goo.ne.jp/word/依存症/)

なるほど分かってきた。簡単な話だ。依存するなんてことは当たり前にあることで、自己嫌悪することなんてない。けれど、行き過ぎたそれのせいで、身体的・精神的に異常をきたしている状態がヤバいんだな。つまり、「依存するのはいいけど、程々にしなさいね(お母さん風)」っていうことだ。

ちょっとスッキリしたけれど、この「程々」ってどれくらいなのだろうか?どこまで依存したら依存症になってしまうのか。人によって違うのか、それともある程度の基準はあるのだろうか?結局またよくわからなくなってきてしまった。この辺り、もっとよく勉強したいな~。詳しい方教えてください。

ナンも依存も程々に。

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