もしもの話のその先は。
もしも、ふとしたきっかけで見に行ったワンマンライブに、最年少だけれどパフォーマンスが力強くて存在感がとてもある子がいたら注目し始めるだろう。
もしも、数回ライブを見て、力強いパフォーマンスや年相応に無邪気に振る舞う姿を好きになっていくと、「推しメン」と呼べる存在になるだろう。
もしも、年齢差が7つもあれば、娘のように愛しくも思えることだろう。
もしも、17歳の生誕祭で『もっと活動を続けたかったのに以前所属していたグループは解散してしまった。だからこそ今度はこの7人で上を目指したい。』と涙ながらに語っている姿を目の当たりにしたら、この子のことが大好きだなと心から思うことだろう。
もしも、メンバーの卒業が発表された時、『みんなでずっといるのが当たり前だと思っていた。そんな風に悩んでいたことに気づけなくて悔しい。最後はみんなで笑顔で迎えたい。』と涙を堪えながら話してる姿を見ると、最後ぐらいはこの子の願いが叶いますようにと望むだろう。
もしも、メンバーの卒業公演で会場全体が戸惑っている中、混乱しながらも拙いながらも状況を説明しようと頑張る姿を見ると、17歳の女の子に何故これほどまで背負わせるのかと疑問を抱いてしまうだろう。この子の儚い願いが叶わなかったことに悲しみを感じてしまうだろう。
もしも、そんな折にこれまで共にしてきたマネージャーさんが退社したとの報せを聞くと、彼女らのこれから案じて不安な気持ちを抱いてしまうだろう。
もしも、悲しい出来事が続いたタイミングでその子の活動休止が発表されたら、本当に戻ってきてくれるのか心配で心配でたまらなくなってしまうだろう。
もしも、約1ヶ月半の活動休止期間を経て本当に戻ってきてくれたらとても嬉しく感じるだろう。活動休止前最後の日に会いに行けなかった自分をこれ以上憎まずに済んだことに安堵するだろう。
もしも、都合がつかずしばらく会えない期間が続くと何となく気まずくなって適当な理由を付け始めてしまうだろう。
もしも、ある日突然その子の卒業が発表されたら、しばらく会えかなかった自分に悲しむ権利などない、子供を見守るのが大人の役目だと強がってしまうだろう。
もしも、18歳の生誕祭で久しぶりに会いに行くと、ずっと我慢していた消化不良な感情が溢れて涙が止まらなくなってしまうだろう。
もしも、その子に会える機会が残り指折り数回だとしたら、もっとたくさん会いに行って思い出を作っておくべきだったと後悔してしまうだろう。
もしも、─────。
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