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自分の可能性は自分が決める!成功者は他人の言うことを気にしない?
あなたはこんなお悩みはありませんか?
「学生時代の先生から、頭が良くない言われた」
「親からやめときなさいと言われた」
「周りの友人・知人からどうせ君には無理だよ、といわれた」
誰もが多かれ少なかれ、同じような経験があるのではないでしょうか。
そこで、「やっぱ自分はだめなんだな…」と思ってしまっているとしたら、ちょっと待ってください。
自分の可能性は他人のものさしで決まるものではありません。
自分が諦めない限り、可能性は無限大に広がっているのです。
誰もあなたの可能性の蓋をする権利などありません。
発明王エジソンは小学校の頃、先生から変人扱いされ、挙げ句の果てに退学させられています。小学校を、です。
相対性理論で有名なアインシュタインは幼少時代、言葉をうまく話すことができませんでした。数学的センスは幼少時代からバツグンでしたが、9歳までうまく話せず、周りから「のろまなやつ」と罵られます。
また、進化論を打ち立てたダーウィンは幼少時代、自分の好きなことばかりやっていて勉強をろくにしなったため、学業の成績はそれはひどく「ダーウィン家の恥」と言われていたほど。
彼らに共通しているのは、周りからの自分に対する批評を引け入れていないことです。
エジソンは母親が代わりに勉強を教えたというエピソードもあります。誰がなんと言おうと、自分自身が自分の可能性を諦めなければ花は開くのです。
僕、岡筋の経験をお伝えすると、僕も子供の頃は当時発売したばかりのスーパーファミコンに夢中で全く勉強していませんでした。
学校の先生からは「おまえは岡筋じゃなく、おかしいんじゃないか」と言われれたほど。
そのとき、クラスメイトはみんな笑っていました。
悔しいというよりか、子供心ながらめちゃくちゃ悲しかったです。
未だに覚えていると言うことは、相当ショックだったのだと思います。
百歩譲って下の名前をいじるならともかく、先祖代々続く上の名前をディスるとは、よく教師になれたものです。
その他、小学校6年生のころは太っていたので、同級生から陰で「えべっさん」と呼ばれていました。本当にそれくらい太っていたんですけどね(笑)。
ただ、僕もただじゃ転びません。その悔しさをバネに今では何個も難関資格を持っていますし、講師としても日本中に認知されています。
手前味噌ですが、誰にも知能が低いと言わせない自信があります。少なくてもおかしいとは。
さらに小学校の時に、太っていたことを馬鹿にされた経験をバネにトレーニングは20年以上続け、空手では入賞経験もあるしマラソンも完走しました。
小学校の頃、周りから言われていたことを思うと想像つかない現状です。
人の可能性は周りがなんと言おうと関係ありません。
自分自身が「やれる」と思っていれば外野の声なんてないのと同じ。
偉大な先人たちの歴史をたどれば、自明と理といえるでしょう。
あなたも過去のコンプレックスを抱えているのなら、前向きに捉えてみてはいかがでしょうか。それが新たな自分の可能性の扉を開いてくれるかもしれません。
自分の可能性は自分自身が決めるのです。