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人は何のために生まれ、何のために生きるのか?




A面 愛されるために。


そもそも。自分を愛することを忘れてしまっているひとは、とても多い。
「私は今、空っぽです」って。自分には何もないように立ち振る舞い、自信を失っている人って多いんだ。自分に愛を注ぐことが疎かで、恥ずかしくて、必要のないことなんだって染みついている人は多いんだ。

その癖すぐ、人のことを羨む。

なぜそんなこと言うかって?なんたって私。「ある人」に出会うまで、それこそ「自分を愛すること」をひとつも知らない人間だったのだ。それは「自分なんて」のトップクラス。その苦しさと言ったら敵なしだった。何をどう足掻いても、自分に愛が持てない私は「一生このままなんだ」とか言って。がっかりしては「こんな性格だから」とか「あの人と私はちがう」なんて僻んだり、妬んだり、諦めた。それは、螺旋階段を下るように、身体も心も下がっていく感覚がしたし、とてもとても気持ち悪かったんだ。寝ても覚めても胸焼けする景色がいつもそこにはあった。今もからだの奥底に、当時の苦しみが残っているよ。名残も在るし、ツケが回ってくることもある。それは私がそうして歩んできた道の先が今日だからだし、あの日の私と今日の私は同じ人間だから。回収は仕方のないことだろうけどね。
ならば二度と繰り返すまいと、もう少し客観視するところ。私が思うにあの頃はバケツの底に穴が空いていて、自分が愛を貰っても、愛を作ってみても、愛を与えてみても、底からするする抜けてしまい貯まることがなかったのだ。縁も、運も、音も、事も、言葉も、温度も心を素通り。身にならないままやっぱり「私には何もない」と愛が抜け落ちていく。そんな感じだったのだろうと思う。

ただ、人間の魂って本当の本当はやっぱり「愛」を探すようにできていて。誰だって自分が愛されることを、死ぬまで追い続けていくじゃない?私だって、苦しみながらもやっぱり。
愛されたかったんだ。

誰に?

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