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転職を重ねた紆余曲折の人生、その財産は人脈と信頼(匿名さん・60代男性)

1979年に大学を卒業後、乳業会社に技術系社員として就職し、その後、多くの方々のご縁やご支援で最終的には食品関連会社5社を経験しました。その経緯と当時考えていたこと、そして現在の個人事業主としての技術士事務所開業に至った経緯と考えていることをご紹介します。


社会人としての基礎を築いた20代

最初の乳業会社(A社)での赴任先は関西の工場で、一連の製造業務と生産管理業務を経験しました。約3年間製造業務を経験した後、生産管理という業務を任されました。入社して間もない若造が作成した毎月の生産計画で製造現場のリーダークラスの方々と時折衝突することはありましたが、最終的には現場の方々との話し合いでよりよい方向で解決し、いい経験をしました。

また、これからは英語とパソコンの時代だと考え、仕事が終ると独身寮でラジオの英語講座を聴講したり、近隣のパソコン教室に通ったりもしました。当時のパソコンはベーシック言語で動くPC9801が主流で、工場に唯一あったパソコンを自由に使わせていただき、独学で生産管理業務の一部をベーシック言語でプログラミングしました。

約7年間の工場勤務後、東京の本社に異動し、技術管理・工場従業員研修の企画・実施等の本社業務の一部を経験させていただきました。

海外企業との業務経験を積んだ30代・40代

乳業会社での本社在籍時に1年ほど米国の大学に留学させていただき、フードサイエンスを学ぶ機会を得ることができました。その留学中は20代で独学した英語力があまり役に立たなかったことを思い出します。

帰国後は海外食品企業との技術・品質に関する交渉や、工場監査・衛生管理・技術指導、海外企業との合弁プロジェクト等を経験いたしました。この最初の会社で社会人としての基礎を築くことができました。
 
そのような中ある輸入商社からお声がかかり、30代中頃に2社目の会社(B社)に転職することにしました。

具体的にはその商社と米国食品会社との合弁の子会社(B社)に転職し、米国食品工場の技術指導・品質管理・品質保証・クレーム対応・在庫管理・物流管理、更には販売等の幅広い経験を積みました。しかし、親会社の意向でB社は入社約3年後に整理されてしまいました。
 
その後人材紹介会社に登録し、新しい会社が見つかるまで1ヵ月半ほど失業しました。転職活動では数社の食品企業に内定をいただきましたが、最終的には関西の食品添加物会社(C社)に入社することになりました。これが30代の終わり頃で3社目の転職です。
 
C社では水溶性高分子多糖類の研究室に配属され、新しい経験が始まりました。その研究室の研究素材の一部が欧米からの輸入原料ということもあり、何度も欧米に出張し品質や技術、更には知的財産に関する交渉を任されました。

英語力が多少あるということで、幸運にもその職場の上司に認められ毎年昇進させていただき、最終的には他の研究室の部長に至りました。また、空席であった法務関係の部長も2年ほど経験しました。

その間、日本食品添加物協会(日添協)の仕事にも関与し、この日添協との関係が定年後の仕事に繋がっていきます
 
また、同社が当時契約していたコンサルタントの米国人顧問のアテンド担当も任され、年に2回ほど来日される度にアテンドをしながら顧問といろんなお話しをすることができました。

そして、コンサルタント業に興味を持つようになり、退職後のことも考えて「中小企業診断士」の資格を取得するための勉強を始めました。
 
C社では非常に多忙な約13年間を過ごし、出会った上司に恵まれたこともあり、様々な業務でいい経験をさせていただきました。しかし、あることで役員と意見が合わないことがあり退職を決意しました。これが50代の初めでした。

食品企業の品質保証体制構築に苦慮した50代

転職を決意した後、以前の30代後半に勤めていた輸入商社の子会社(B社)時代の元上司に相談したところ、冷凍食品の輸入製造販売会社を紹介され、品質保証部長の後任として入社することに至りました。これが4社目(D社)の転職です。
 
D社では前任の品質保証部長が退職された後、正式に品質保証部長を任されました。同社は当初大阪に本社がありましたが、時代の流れで東京に本社を移転し、それに伴って私も東京に単身赴任しました。
 
当時、食品業界では世間を騒がす品質問題が散発し、品質に関する危機管理やフードディフェンスを含めたコンプライアンス体制の構築が急がれました。

そこで、品質危機管理マニュアルの作成と運用、コンプライアンスやフードディフェンスに関する社内研修の企画立案と実施、国内・中国・東南アジア等の取引工場の二者監査、品質と監査に関する従業員教育、品質に関する危機管理体制構築等の品質保証体制構築に尽力しました。
 
その間も定年後のことを考え「中小企業診断士」の勉強と受験を続けました。しかし、二次試験が3回不合格となり「中小企業診断士」を断念し、「技術士(農業部門)」を目指すことに方針転換しました。

この判断が定年後の仕事に繋がっていきます。その結果、定年前にどうにか技術士(農業部門)の一次試験に合格することができました。また、この頃食品安全マネジメントシステム(FSMS)の民間認証規格ISO22000の取得が増加し始めていたことから、その自己研鑽も始め、最終的にはIRCAに審査員補として登録するに至りました。

食品工場の点検・監査等で貴重な経験をした60代

前職のD社を60才で定年退職する直前に、ある検査機関の役員をしていた大学の同期から、関西で日本冷凍食品協会(冷食協)の冷凍食品認定制度に基づく冷食工場の第三者認証業務を手伝ってほしい、とのお話しを頂きました。定年後は単身の東京から関西に戻るつもりだったので、二つ返事で承諾しました。これが5社目の転職となります。
 
60才を超えて同検査機関(E社)の関西事業所に嘱託社員として入社し、冷食協の認定冷凍食品工場の定期検査/点検・更新調査/監査などの業務に就きました。

2023年3月に退職するまでの約7年間で、のべ555工場の定期検査/点検、のべ60工場の更新調査/監査を行い、様々なタイプの冷食工場について多くの事を学び、また人脈も構築することができました

その間も技術士(農業部門)の資格取得に向けて自己研鑽を続け、最終的には2020年に合格し同年に日本技術士会に登録しました。

技術士事務所を立ち上げて食品業界に恩返し

2023年3月に同検査機関(E社)を退職後、2023年4月に個人事業主として技術士事務所を開業し、若い頃にぼんやりと考えていたコンサルタント業を行うことにしました。

具体的には、食品企業を対象に食品衛生管理業務全般のコンサルティング、食品工場従業員の教育訓練、HACCPの導入やISO22000等FSMSの民間認証の取得及び構築支援、一般衛生管理プログラムの構築支援等を行っております。

また、引き続き冷食協の認定冷凍食品工場第三者認証の業務委託、及び40代にお世話になった日添協の食品添加物工場食添GMP審査員の業務委託を受託しています。また、RD LINKには退職前の2022年12月に登録しました。

若い頃に大学の先輩から “食品業界を渡り歩いたお前は、食品業界に何がしかの迷惑をかけているので恩返しをしなさい” と言われました。
(後日、先輩にその旨を話すと、そんなこと言ったっけと忘れていましたが・・・)

時代は大きく変わってしまいましたが、モノづくりの基本は変わらないと考え、食品業界への恩返しの気持ちを込めて、無理をしない範囲でコンサルタント業を行っています。

今まで様々な企業で多くの方々と出会い、多くのことを教えていただき、また貴重な経験をさせていただきました。この方々とのご縁と経験を今後とも大切にして、食品業界にお役に立つコンサルタント業を続けていきたいと考えております。

若い頃から欲しかったギター「マーチン」。老後の楽しみに時々弾き語っています。


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