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「間」についてあれこれ考えてみた話②ー間の生き方は何をしているか説明しにくい

前回に続いて「間(あいだ)」が自分の中でキーワードになっているという話。

間の働き方や、間の暮らし方みたいなものに関心が向くようになって色々考えている。

一度働くペースを落としてみて、自分の中に余白を作ってみたり。

正か負かといったような極端な選択肢じゃなくて、その間にあるものを大切に出来たら良いんだろうなと思ってる。

ただ、その間にいる状態って、自分が何をしているのかを人には説明しにくいなとも思う。

自分自身、鬱になって体調を崩した後、今は間の生き方を試してみてるという感じだけれど、自分の状態を言葉にするのは難しい。

体調は回復したけどまだまだしんどい時はあるし、収入は多くはないけど生活コスト下げてるから全然余裕で暮らせている。今はやりたいことを徐々に実現させていってるけど、これからどんな方向に進んでいくかは自分自身もよくわからない。

こういう、自分でも何やってるのかよくわからない曖昧な状態って、大事な時期なんだろうなと思いつつ、けど、曖昧だからちょっとしんどいよな〜とか思ってた。

そしたら、そういう"答えの出ない曖昧な状態に耐える力"のことを「ネガティヴケイパビリティ」と呼ぶらしいということを知った。

対人支援などの場面で、「相手の状態に対して、早急に答えを出してなんらかの方向性に持っていこうとするのではなく、その曖昧な状態を良しとして向き合っていくことが、本当に相手への理解に繋がる」みたいな考え方らしい。

この、「何やってるのかわからない曖昧な状態でも別にいいやん」みたいな意識ってめっちゃ重要だなと思う。

学校卒業したらすぐ働くとか、仕事を辞めたらすぐにどこかに就職しなくちゃいけないとか、そういうのじゃなくて、何してんのかよくわからない、曖昧な間の状態でいる時間は、多くの人にとっても必要なことだと思う。

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西村 征輝(にっしー)
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