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めちゃくちゃがんばるシリーズ⑦【その先にあるもの編】
だいぶ、がんばって書いた、
めちゃくちゃがんばるシリーズ、
ふだん、絶対に言わないであろう、
がんばるということ、
こんなに出てくる言葉があるとは、
自分でも、びっくりでした。
がんばったら、
何でもできるよ!
誰もが子どもの頃持っていた、
幼児的万能感。
いつの間にか、
現実の挫折体験や、
思い通りにならない体験を、
繰り返すごとに、
あきらめに変わっていく。
がんばるのは、かっこ悪い、恥ずかしい、
挫折する痛手はこりごりだ、
がんばらないでいいよ、
何もしなくてもうまくいってる、
と、がんばらないことを
正当化しようとする自分がいる。
がんばるのか、がんばらないのか問題。
受験生に、がんばればできるよ!
と励ましてきた僕も、
種明かしすると、もちろん今は、
がんばれば誰でも同じ結果が得られるとは、
思いません。残念ながら。。
僕が曲がりなりにも受験で合格できたのは、
生まれついて授かった丈夫な身体や体力だったり、
恵まれた神経系の耐性だったり、
愛情深い両親のおかげだったり、
・・
自分の努力と根性で勝ち取ったものだ、
と、勘違いしていましたが、
親の愛情、人のおかげ、
環境や無数の偶発の積み重なりで、
自分が意図した以上の、
壮大な恩恵の流れの中で、
起こってきたものだ、
という感覚に、今はなっています。
自分の努力なんて、全体の流れからしたら、
とても小さな要素だったのです。
このシリーズを書きながらずっと浮かんでいたのは、
西遊記の物語です。
孫悟空が、自分の力に得意になって、
お釈迦様に見せつけてやろうと、
筋斗雲で世界の果てまでぶっ飛ばし、
そこで見つけた柱に、自分の名前を書いて、
ちゃんと証拠を残して帰って来た。
すると、名前を書いたと思った柱は、
なんと、お釈迦様の指だった。
人がいくら万能感で威張ったところで、
しょせんは、大きな摂理の手のひらの上だ、
というお話。
人の自然に対する傲慢さ、
ちっぽけさに愕然とします。
じゃあ、お釈迦様は、
孫悟空が、しおらしく謙虚になって、
自分の力を発揮することをあきらめることを、
望むでしょうか。
おそらくお釈迦様は、悟空は悟空の持てる力を、
思う存分に発揮して、
そこから自分だけの人生を展開し体験することを、
望むのではないでしょうか。
与えられた手のひらの上で、
思いっきり飛び回りたい。
だから、本気でがんばることについて、
今一度、自分の思考遍歴をたどってみたのでした。
本気でがんばった時、
望んだ結果になることもあれば、
ならないこともある。
でも、望んだ結果よりも大きな体験を、
得ているんじゃないかな、と思っています。
その結果は、想像の斜め上からやってくる。
僕ががんばって得られたものは、
がんばってもいいけど、
がんばらなくてもいい、
と自然に思えること。
どっちでも自分で選びたい時に自由に選択できる、
という安心感なのだと思います。
今日は22日秋分ですが。
4日前の日めくりカレンダーはこうでした。
がんばった結果、達成して安心を得てもいいし、
がんばった結果、病気になって安心を得ることもある。
その時、もうがんばらなくていいって、言うみたい。
めちゃくちゃがんばる論①:人の潜在能力は無限
めちゃくちゃがんばる論②:全集中感覚
めちゃくちゃがんばる論③:内発的動機づけ
めちゃくちゃがんばる論④:前向きな願望設定
めちゃくちゃがんばる論⑤:世間体を突破する
めちゃくちゃがんばる論⑥:試練は乗り越えられる
めちゃくちゃがんばる論⑦:結果に執着しない