この際、精神医学史もお勉強しましょう
囲い込み医療か、開放化医療か、
そのジレンマを悩むことで、
精神科医療は熟成を重ねてきました。
精神保健の歴史の中では、
患者を隔離・収容するという発想から、
個人の権利を復興して、
解放する方向で、人類は進み、
またその揺れ戻しを経験してきた。
日本では、隔離収容するための、
精神病院の乱立、
それもできない人は、
座敷牢などの私宅監置、
政策として、
合法的に監禁してしまうことになった。
100年ほど前に、呉秀三先生という偉い先生が、
解放化に取り組まれたけど、
未だに日本は世界的に、精神科病床の多い国のままです。
↑ かつて研究助成でお世話になった阪本精神病理学研究所のHPより
一方、
自由こそ治療だ!
として、先進的な取り組みで、
政策として精神病院を廃止した、イタリア。
バザーリアによる病院廃止の法案ができたのが、40年くらい前。
しかし偶然なのか、開放化の風土のせいなのか、
パンデミックの被害が大きかったのもイタリア。
そして、ただ地域への開放化ということでなく、地域へおもむきとことん向き合って対話するという、オープンダイアローグという流れが、フィンランドで生まれていく。
歴史的経験を振り返って、いま何が正しいのか、
僕にはわからないけど、
人類も、「繰り返し思い出す」ことが、
進化に繋がっていくように思います。
自分たちとは違う人種、
違う感覚、感性、性質、
社会の中で、全体の空気感からズレて、
場の秩序を乱してしまう人たち、
を、恐れるあまり、
意識の中から、社会から、
排除してしまおうという心理が働いた。
一人ひとりの小さな怖れが、
集団感染して、過剰な恐れになって、
暴走してしまう。
私たち、一人ひとりが、
小さな怖れを鎮めて行くこと、
日々の怖れを手放していくこと、
自律神経を安定させておくこと、
一人ひとりの毎日が、
人類を救うお仕事を担っているんだと思います。
なんか、社会派なエッセイになってきたな(笑)
そんな風に全体意識が高まるのも、
この時代の力ですね。