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診察室からコロナ不安に光を当てるこころみ

診察室でコロナ不安のパターンを聴かせてもらっていて、
もう一つ、あぶり出されていると思うテーマがあります。

それは、体質、感覚の多様性の許しのテーマ。

体質(免疫系、自律神経系)の違い、という普段見えなかったものを、
重症化率、という目に見える数字であらわにされている。

感覚の違い、という見えなかったものも、
感染対策という、具体的な行動で明らかにされている。

例えば、HSPや高感受性の方は、
危機管理のアンテナのレンジが、
ものすごく広かったり、特殊だったりする。

診察室でよく見る光景は、

身内が手洗いや感染対策をちゃんとしてくれない!
 大丈夫だって、大したことないよ。
危機管理意識が、低すぎる!
 いやいや、お前が神経質になりすぎなんだよ!
なによ、やっぱり私の思いなんて、わかってくれない!

・・・みたいな、家族内の分裂です。

不安や恐怖は、本来、その人固有の確かな感覚で、
誰かが取って代わって感じることは不可能だし、
つべこべ評価、ジャッジする筋合いのものではない。

共有できるわけもないし、どちらかの思い通りにもならない。
今までは「好きでいるために距離を置く」ことができていたのに、
今は家庭内の心理的なパーソナルスペースが確保しにくい。

個人の感覚や自由意志を尊重したまま、
どのように共生していくのか、

という多様性の許しの課題が、
試されているように思うのです。

裁きの心性も、家族内の分離も、
本来は、人が命を保護する本能、
大切な人と一つでありたい本能、
温かいこころから来た、自然なこころの動きなはず。

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表面的にはわかり合えないように思えても、
根っこの奥には、思いやる心が隠されているんだと、
思い出す時かもしれません。

八つ当たりしてしまって、ごめんね、
許せない自分がいるんだ、
でも、怒っている人って、やっぱり嫌だわ、
わかるよ、なんか気持ちに余裕がないよね、
お互い、思い通りに、ならないね、
うん、うん、、、

診察室では、家族の理解と絆が深まっていくそんな光景が、
これから増えていくのではないかなぁと、思っています。

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コロナブルーで不安になっている身近な人に、
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