反抗期なき時代の社会適応事情
子どもさんが心身のトラブルを起こす時を考えると、
ほとんどが、内発的動機と外発的動機の葛藤が見える。
自分(私・個体)の内側が求めているものと、
自分の外にあるものが求めているものと、
その、折り合いをつけるのは、
子どもでなくても、
おとなになっても、
常に取り組んでいる宿題で、
それが、成長になるか、傷つきになるか、
紙一重、表裏一体になっている。
この難問にぶつかる、受験戦争的な時期が、
思春期、そして、反抗期、というのだろう。
反抗期、という言葉は、
しかし、フェアな表現じゃないと思う。
服従する/させる、という土俵を前提とした表現で、
普通に、抵抗期、としたほうが、
ニュートラルな気がするが。
心療内科で観察されている現象は、
こころの病、というラベルを貼られているが、
生体・個体が、外部環境に抵抗を持った時の、
適応プロセスで観察される現象を観測している、
と見ることもできる。
例えば、なんでもいいのですが、
進学や新しい職場環境、人間関係、
という外部環境にさらされた時、
個体は、これに適応しようと抵抗を示す。
いらいらや悲しさ、抑うつなど、感情レベルで抵抗を示す人、
攻撃的、破壊的な行動や、非活動的で引きこもりとか、行動レベルで抵抗が見られる人、
自律神経系が活性化し、生体器官の症状として、身体症状レベルで抵抗が表れる人、
理論武装や原因探し、自己否定とかで、認知レベルで抵抗が起こってくる人、
どの領域の抵抗が目立つかは個体によって違うけど、揺れながら、徐々に抵抗は落ち着き、外部に適応した形に、自然調整されていく。
個体には、多様性、個体差があるので、当然、平均値から外れて、
適応に時間がかかるマイノリティーな個体もあって、
自己調整が困難な時に、サポートが必要になることがある。
生体の抵抗-適応反応が長引いて、生活の支障になっている場合を、
精神医学では、精神症状と呼んで、カバーする役割の一部を担っている。
という、考え方もできる。
自我意識を持つ脳を持った、
人としての生を経験するということは、
この抵抗期を必然的に体験するように、
あらかじめ仕掛けられた設計になっている。
人生の前半に、宿題として、抵抗期、
という必須科目が設定されており、
自我意識との付き合い方を就学することになっている。
そこで単位を落としていると、
後半期にも、その課題は持ち越しされる。
反抗期がない子が増えている、というけど、
その分、親に対してではなく、形を変えて、
社会のなかで、爆発しているのかも知れない。
世の中、反抗期だらけになっているようにも思える。
世の中に対して怒っている、
不平不満が絶えない、私たち。
私もあなたも、反抗期。
反抗期がなくなった現代で、
内なる本当の自分の生き方を見つけるために、
人類は、共同反抗期、という新たな生態系システムを構築して、
この世の経験を模索しようとしているのかも知れない。