安全社会が奪っているものは人のつながりかもしれない
例えば入院中のAさんが、Bさんからタバコをねだられて困る、
という問題があったとする。
病棟では金銭はもとより、物の貸し借りは禁止されているので、
Aさんは看護師長に相談する。
すると当然Bさんが注意を受ける。
Bさんは問題児で、責任者がそれを管理する。
これが、現代日本的な管理社会の縮図であろう。
しかし、べてるの家の発想は面白い。
例えばAさんが、Bさんからのタバコ要求を、
友好的に断ることができるようになれればなぁ、と願い、
仲間の力を借りて練習することになる。
Aさんの練習課題が仲間に共有され、共感の土壌が生まれる。
それだけではない。
Bさんにも、色々事情があるに違いない、
という間接的な励ましが場に生まれ、
それは問題の張本人であるBさんをも、
仲間の繋がりに取り込んでいくきっかけにさえなる。
こうして、「Bさんのタバコ問題」であったのが、
結果として「仲間同士の繋がりを紡ぐユニークなエピソード」に変換されるだろう。
べてるでは、日々の問題が、仲間の物語に塗り変えられるようだ。
-技法以前 べてるの家のつくりかた より抜粋改変
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