身体を壊してまでも、どうしても守り抜きたかったルールブック
私には、絶対ありえない行動、
私は絶対しないこと、選ばないこと、
大キライなこと、許せないこと、
受け入れられないこと、
自分に共感できるか、
できないかは別として、
よくお話を聴くと、
必ず、その人なりの事情があって、
それを理解することはできる。
相手の事情を理解するってのは、
その人のルールブックを、
見つけること。
ボールを手で持ってはいけない、とか、
斜めにコマを進めては行けない、とか、
その人だけのルールで動いていて、
生まれた体質、環境、経験によって、
マイ・ルールブックは、人それぞれだ。
その人のルールブックを知れば、
謎に思えた行動が、な~るほど、
そういうルールなら、そうなんだな、
と、理解することができる。
身体を酷使して、健康を害してでも、
それより優先するルールを、
必ず、持っておられる。
その人の体質を、その人の環境で、
生きてきた歴史の中で、
培われた、大事なルール。
頑なに大切に守ってきたもの。
もはや、命よりも
大事にしてきたもの。
禁じてきた事。
いや、命を保つために、
大事にしてきたもの、
禁じてきた事。
そんな命がけで守ってきた、その人のルールを見つけた時、
なんだかうるっときて、尊い気持ちになる。
病気になってまで、
手放したくなかったルールブック。
かつて、自分の自由と引き換えに、
どんな取引をして、どんな契約を交わしたのだろう。
そこに込められた強く長い想いとは、
どんなものだろう。
そこまで身をやつすまでの、その想いとは。
病気は治さなきゃ、ってことになっている。
世間は、ちゃんと治療しなさいって言う。
しかし、治療治療と医療のレールで先に急ぐあまり、
自分の大事にして来た歴史を否定してやいないか。
朝からそんなことを思ったので、
今日の診察は、その人の手放したくないルールに、
そこに込められた気持ちに、想いをはせながら、
お話しを聴かせてもらったのでした。
いつものように、
ふん、ふん、ふーん、、、
そうか、そうか、そうですかー、と。