“ギャップ“を制す者

どんな人柄であろうが、どんな職柄であろうが優雅を存分に感じれる居処、モーニング。自分も、たまーにその優雅を獲得するためにカフェのモーニングタイムに向かう。
ただただ脳停止しながら時間の流れを感じるのも良し。ビジネスマンであればこの居処を利用して作業を進めるとすごく捗ったりするらしく。かくいう僕も、作業というほどのものではないが、今この文章を書く時間をモーニングタイムに当てている。うむ、何故か捗りそうだ。
さて、ふぅーーーーーーーー。、、、捗りそうだ。、

なにを書こうか決めていないが、捗りそうだ。捗るんだ、カフェのモーニングタイムは。捗らないわけがない。
その思いとは裏腹に、意図していない脳停止をしながら時間の流れを感じていると、先ほど注文したシロノワールと美味しい紅茶を店員さんが運んできてくれた。
ここはかの有名なコメダ珈琲店。名物のシロノワール。「僕ちんは朝だからといって安直にコーヒーを選ぶんじゃなく紅茶を選ぶんだよな〜」と、誰に対してかわからないマウントを心の中で取った後、文章を後にしてナイフとフォークを手に取った。

うんまっ。シロノワール。なんぼ食うても美味いでシロノワール。あんまっ。なんぼか食うたら甘なってきてしゃーないでシロノワール。ちょっとしんどい。紅茶紅茶、、、うんまっ。甘い口に無糖の紅茶うんまっ。幸せぇ。あれ、またシロノワールばくばくいける口になってる。うんまっ。一回リセットされた口で頬張るシロノワールうんまっ。

交互に続け食べ進める。朝から脳内が幸せで埋め尽くされる。なんて作り出された幸せ。なんで幸せなんやろ、シロノワールだけやったら最後腹立って終わってたやろなぁ。………“ギャップ“のおかげや。“ギャップ“が幸せを生みよったんや。
ちょっと待てよ。。。。よし、書いていこう。
幸せを堪能し、僕はナイフとフォークを置いた。執筆中のための紅茶を少し残して。
よしよし。やはりカフェのモーニングタイムは、捗るものだ。ーーーー


ーーーーもし何かを制すなら、何を制したい?
どんな質問やねん。おそらく、こんな質問をされたことがある人は少ないかもしれないが、質問にはやはり即答したいものだ。そこでオススメ。僕は“ギャップ“と答えることができる。この質問に即答できる数少ない人間だ。なぜ“ギャップ“を制すことがオススメなのか。順次説明していこう。
説明とか堅苦しいものちゃうわ。もうな、単純にやで。幸せを簡単に生みよんねん。“ギャップ“っちゅうもんは。
それこそ今の今。優雅なモーニングタイムにて、いとも簡単に幸せが生み出された。これがシロノワールだけやったら、ちょい幸せかまたは胃もたれで腹立って終わってたところ、真逆の紅茶によってスーパー幸せに変えられた。
甘い⇄苦い
はいこれ“ギャップ“。簡単すぎる。甘いなら、⇄苦い、しょっぱい、辛い、渋い“ギャップ“を生み出せるものの幅が広いので尚更簡単。
初めてこれに気づいたのは、マックでポテト食べながら、食後に飲もうおもてたシェイクを一緒に注文してもて。溶ける溶ける思いながら仕方なくポテトと同時に食した時。しょっぱい⇄甘い
チャキーーーン!!!脳天に響いた。うんまっ。

“ギャップ“の差があればあるほど幸せはデカくなると僕は睨んでいる。
冬。さっっむい中、手袋つけ忘れる。今にも凍るでと言わんばかりの指先を、家に到着しコタツに突っ込む。
寒⇄暖
ほわぁぁぁああぁ。とろける〜。こーれーは手袋つけてたら味わうことのできなかった脳天直撃やな。まさに“ギャップ“。ちょっと手寒いくらいじゃあここまでの幸せはなかった。“ギャップ“の差があってよかった。

まだまだこれくらいの特典じゃあ、制したいまでは思わない。安心してくれ、制したいと思わせてやる。
実生活で使える点が、“ギャップ“の恐ろしいところ。
評価。学生や社会人において、人は評価をされ続ける。これは切っても切り離せない現象。
事前評価→実評価
これだけで、ただの実評価よりも良い評価を受けることができたりする。
つまり、事前評価とは先入観(イメージ)によるものが大きかったり。見た目チャラっチャラ、タトゥー全身バッシャア、ピアスキラッキラァ。そして、よくよく聞いたら東京大学卒。
先入観で「うわ怖そう」人によると「頭いいわけがない」と事前評価を植え付けたのちに、実際の評価される部分があまりにもかけ離れているものなので、そんな先入観など押しのけるパワーがとんでもない。そしてめちゃめちゃ東大っぽくて東大。もちろんすごい。しかし、前者のチャラっチャラの方がどうしても驚かれ、好感度は上がってしまうもの。
うんタトゥーは言いすぎた。流石に面接は落ちる。ピアスは取れるし髪も染めれるしな。ただイメージを植え付けることはタダなので、実評価されるものと離れたイメージを装うことは悪くない。それができれば“ギャップ“を制す者だ。
よくある、ヤンキーがちょっと優しいのと、いかにも温厚な優しマンが優しくするのはわけが違う。これは仕方がないことだ。無意識であろうがヤンキーは“ギャップ“を制してしまっているのだから。大丈夫やでそこの優しマン。君の方がよっぽど偉い。ただ“ギャップ“を制することができなかっただけだ。制したくなってきただろう。
ただし、先入観の歯止めを操作するのは意外とむずい。「これだけで」と言ったのは訂正しよう。

見た目でどんどん油断させよう。弱いと思われれば思われるほど相手は油断する。
弱そう→想定より強い(実力)
戦いの世界において、弱い者が強い者に勝つには油断の隙をつくしかない。戦い方としては“ギャップ“は戦略にも組み込まれる。本当に実力があれば、より強そうに見せて相手を萎縮させる手もあるが、ない人の方が溢れかえっている。
“逆ギャップ“。強そう→弱い(実力)も、ハッタリとしては効果がある。長くは持たないが、この“逆ギャップ“も差があればあるほど効果はある。
つまり結局のところ、どんな場面も“ギャップ“は制するに限っちゃう。

しかし“逆ギャップ“がマイナスに働いてしまうことがある。

恋愛。“ギャップ“を制す所としてはここが1番制したい。
ギャップにキュンキュンしちゃった❣️❣️なんて死ぬほど聞いた言葉。「ギャップてなんやねん!!!」と泣き叫びながら恋に敗れた男は数知れず。仕方ない、彼女を勝ち取ったあの男は“ギャップ“を制していたんだから。
恋愛において“ギャップ“を操ることはかなり難しい。そもそも操ろうとしている時点で見透かされる。「あいつ萎えた」言われる。男のわざとらしさなんか女の掌の上。
恋愛における“ギャップ“はあくまで自然。自然に生まれた“ギャップ“を強調するかどうかは操れるとは思う。自分の“ギャップ“を見つけてみよう。
「自然なの!?ならどうしようもないじゃないかぁ!!ギャップを制する気失〜せた!」じゃない。そう思うにはまだ早い。
できることがあるとすれば、先ほど挙げた“逆ギャップ“を制すことなのだ。
恋愛においては“逆ギャップ“はまじでマイナスに働いてしまう。
「普段頼りなさそうなのに、いざとなった時頼れるんだよなぁ私の彼」
これ惚れる方の“ギャップ“。
「普段頼れそうなのに、大事なとこで何にもできないあいつ」
これ“逆ギャップ“。
巷で噂の『蛙化現象』とはまさにこの事。よく見せすぎたが故に、本質でがっかりしてしまう。女の子に蛙化かまされた時は“逆ギャップ‘なうなのです。
この“逆ギャップ“だけは防ごう!!“ギャップ“を操作できずとも“逆ギャップ“を防ぐ事なら可能だ。至ってシンプル。見栄を張るな。男としては案外難しいのかもな。やかましい。黙って、見栄を張るな。“逆見栄“を張って、たまにカッコつけよ。ほなイチコロや。ーーーー

ーーーーオケツ痛っ。モーニングタイムでオケツ痛っ。座りすぎたしそろそろ立つか。この辺にしよ。
“ギャップ“について。なくても構わないが一つの武器として、知識としてあって損はないと思う。“ギャップ“を制す者は、制していない者全てに勝てる。

これ持論ね。たまに書く適当持論シリーズ。なんせシロノワールと紅茶がうんまっすぎて思いつき書き出しなもんで。ありギャとござますコメダ珈琲。
適当持論、ぜひ鵜呑みにしてくれ。

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