俳人にとって、「一誌持つ」とは?
RCが俳句を本気で始めようと思ったきっかけは、もう20年近く前、ある団体の夏の催しに参加したことでした。1日目に吟行、2日目に句会というもので、吟行の楽しさ、句会の面白さに魅了されてしまったのでした。
その吟行のおり、ご指導されていた大御所の先生が、たまたま近くにいらしたので、季題の話から雑談になったのでした。今から考えると無遠慮で大胆でしたね。でもそんなことが自然にできてしまうのも、吟行だからだったのでしょう。
そのとき、先生はこうおっしゃったのでした。
「どうせやるなら一誌持ちたいよね」
先生は、そういい残すと、さっと次の句材を探しに去っていかれました。RCは、その後ろ姿を見て、「かっちょえぇー」と思ったものでした。
後日、その言葉がなぜか気になって、先生のプロフィールを調べてみました。
そのときのお立場は、とある結社の副主宰とありました。主宰ではないのだから、新しく何か始めたいというお気持ちなのかな、と漠然と思ったものでした。
その後先生は、その結社を継承して主宰となられ、また俳句界全体にも貢献するお立場になりました。
「一誌持つ」とは、新しく興すのではなく、継承するということだったのでしょうか。ちょっと不思議な感覚になりました。
そういえばこの業界は、藤田湘子が「鷹」を創刊したことで「馬酔木」から離れざるを得なくなった例もありますし、勝手な動きをしていると見なされると、関係が悪くなったりしますよね。
いえいえ、もちろん大先生の思いは、きちんと継承して「一誌持つ」おつもりだったのでしょう。
RCなどは、いつも何か面白いことしたいなぁと思いつつ、面倒くさがりで、結局何もしていない、という年月を重ねてきました。「一誌持つ」どころか、句作も疎かになりがち。情けない限りです。
でも、俳句が大好きなのは紛れもない事実ですから、いつか「一誌持つ」ことを夢見て励みましょうか。
まあ、俳人と自称しても笑われないくらいにはなりたいと思うこの頃です。
RC