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現役保健体育教師が語る!正規採用までの道のり

この記事では僕が保健体育教師として採用に至るまでの道筋を振り返っていきます。教師を志す人だけでなく、正規採用を目指しているすべての人に役立つことを願って…



憧れから目標へ

小さい頃からスポーツに親しんできたこともあり、スポーツに携わる仕事が出来たら良いなぁーなんてぼんやり思っていた中学時代。

高校では、人に何かを教えることに面白さを感じ始めたことと、部活の顧問をしたいという気持ちから自然と教員を目指すようになった。さて、どの教科を選ぶべきか…

スポーツ+教員=体育の先生!

安易な発想ながら、良いとこ全部取り!笑
しかし高校生にもなると、自分の運動能力が大したことはない並程度であることを悟ってしまっていた。全国大会レベルの人が目指す職業だと思っていたため、特別な才能のない自分では恥ずかしくて口にも出来ない「憧れ」でしかなかった。

当時は理系を選択しており、生物にも興味があったため、消去法的に理科の先生を目指すことに
(すべての理科の先生方ごめんなさい。今では生半可な気持ちでは理科の先生は務まらないと痛感しています)

大学は理工学部に進み、教職過程も取り、迎えた大学3回生の秋。周りが就活を始め、将来に向けて歩み始めていく中、ふと…

このまま本当に理科の先生になるのか?
憧れ続けた体育教師を目指す、最後のチャンスじゃないか?

そうした思いに駆られ、憧れを目標にすべく、一念発起。体育教師を目指すことにしたのだった。


免許取得のため大学院進学を決意

さて、決心は着いた。まずは保健体育の教員免許を取得しなければ。理科の教員免許に必要な単位はすべて揃う予定なので、あとは保健体育の教科に関する科目を履修すれば良いが、問題はどこでやるか。

現実的にもう一度学部に通う選択肢はなく、スポーツ系の大学院に進学し、専修免許を取得するという道を選ぶことにした。運動能力に欠けるため、少しでも箔をつけたいという算段だ(笑)

たまたま通っていた大学が次の春からスポーツ健康科学部および研究科を立ち上げる事が決まっていた。ナイスなタイミングに思えた。…がしかし、立ち上げ1年目のリスクを感じたと共に

どうせなら環境を変えて、日本トップレベルの実績ある大学院で学びたい!

今思えば無謀で大胆な気持ちに突き動かされるように、名実共に日本有数の大学院を3つに絞り込み、両親を説得し、3回生の冬に研究室訪問に行き、一番ウェルカムな姿勢を見せてくれた筑波大学大学院への進学を決意。試験はおよそ半年後。そこから必死に独学で一から体育学と英語の勉強をし、なんとか合格を勝ち取る事が出来た。周りは就職活動や教員採用試験も終わり、とっくに内定を決めていたが、自分も遅ればせながらやっと次のスタートラインに立てた、そんな安堵感でいっぱいだった


大学院生活と就職活動

大学院での2年間はあっという間だった。もともと大学院生として必要な単位+科目等履修生として体育免許取得に必要な単位を2年間で取り切るために、授業はパンパンに詰まっていた。それに加えてクラブに所属し、修士論文作成。文字通り、朝から晩まで大学にいた。人生で一番勉強したが、自分がやりたかったこと、興味のあることだったので苦では無かった。卒業して10年になるが、今振り返っても本当に有意義な2年間だったし、進学出来て良かったと心から思う。

さて大学院進学の主たる目的は体育免許取得だったこともあり、博士課程への進学は考えていなかった。いよいよ自分も就職活動をせねば。しかし、これほど悪戦苦闘することになるとは思っていなかった。保健体育教師として採用を勝ち取る事がいかに狭き門であるか、そして自分がいかに甘く考えていたか…


初年度の教員採用試験と私学応募

大学院生活最後の年。教員志望の学生にとってのゴールデンスタンダードは各自治体の教育委員会が実施している教員採用試験を突破することである。いわゆる公立の先生を目指すということだ。

私立および国立の募集は各学校ごとに行われる。蓋を開けてみるまで時期、募集教科や人数、試験内容などはわからない。それに比べて公立の教員採用試験は例外はあるものの、毎年夏に行われ、すべての校種・教科で募集があるし、過去問や試験内容も出回っているため対策しやすいのだ。なのでそこに一つの照準を合わせるというわけだ。僕が受験していた頃は地域ブロックごとに同じ日に実施されており、例えば東京と神奈川といった隣県併願は出来ない仕組みになっていた。

よくある受験パターンは本命(多くが出身地)+採用人数の多い自治体の併願である。しかし、縁もゆかりもない土地で働くのもなぁと思ったので、出身地一本に絞って受験したが、単純な勉強不足もあり、一次(筆記試験・面接)で落ちてしまった。

残された道は私学の採用を探すことしかなかった。年末が近づくにつれ、ぽつぽつ募集が出始めたが、選り好みをしていた僕はいいなぁと思った1〜2校にしか履歴書を送らなかった。当然ながら書類選考落ち。結果通知には…

貴殿の今後益々のご活躍をお祈り申し上げます

うわ、出たっ!これが噂のお祈りか!!

なんてテンションも上がり、ミーハー心丸出しだったのは最初だけだった…


お祈りされ続ける日々

大学院修了も迫った2月、当初は地元に帰る予定であったが、このまま大学院近くに残った方が来年以降の対策や情報収集もしやすいのではないかと考え初めていた矢先、たまたま下宿先から通勤できる範囲の学校の募集を見つけた。非常勤講師の募集であったが、働けるなら何でもいいやと思っていたので応募した。なんとびっくり、4次試験まである念の入れようであったが、運良く採用してもらい働けることになった。採用が決まった時はめちゃめちゃホッとした。保健体育教師として働くことができる、目標が現実になった嬉しさよりも、職に付けた安堵感でいっぱいだった。

非常勤1年目は日々の授業準備に追われていたこと、経験を積む事を優先したこと、非常勤として3年は働けると言われていたことを盾に教員採用試験は受けず、私学への応募もほとんどしなかったように記憶している。今こうして振り返って思えば楽な方に甘えてた、逃げてたなー

非常勤2年目は教員採用試験を受け、一次試験は突破できたが、二次試験はダメだった。正直言って特段失敗したという認識はなかったが12人いて合格が1人という狭き門だった。厳しい現実を目の当たりにしたが、僕の受けていた自治体では一次試験を合格すれば、その次の年のみ一次試験免除という特例があったため、来年度への希望が繋がった。また講師登録用紙も一次試験合格者用が配布され、「おいおいこんな裏の手あったんかいな」とある種の世知辛さを感じつつも、これは声がかかって地元に戻れるという期待をせずにはいられなかった。その後も地元と近隣の自治体にある私学の応募が出たら、ほとんど応募した。非常勤をしているという職歴が効いたのか新卒時に比べて書類審査を通ることも増えたが、それでも5つ応募して1つ通るかどうかの世界であり、運良く書類審査を突破しても採用に至ることはなく、ひたすらお祈りされ続けた。ポストに入っている結果通知の封筒の厚さで開けるまでもなく、お祈りの手紙であることがわかってしまう、あの感じ…本当に虚しくなるんだよね


ひょんなことから地元に戻れた非常勤3年目

とにかく履歴書を出しまくったが一つも通らない。公立・私学問わず地元周辺の講師登録をしまくったが一切音沙汰なし。教職員の派遣・紹介会社にも数社登録をした。12月、このうちの一社が地元の私立の非常勤を紹介してきてくれた。新幹線で向かい、校長先生と面談し、その帰りの新幹線を降りた駅で採用の電話を受けた。トントン拍子とはこのこと。大学院卒業から2年、やっと地元に戻ることとなった。

地元に戻った非常勤3年目、正直自分のなかで将来への不安と焦りが日に日に増していた。来年残れるかもわからない不安定さ、授業しか担当できないもどかしさ、そして将来を見据えてお付き合いしていた彼女とのこともあり、非常勤講師から早く抜け出したい一心で就職活動にも熱が入った。特に教員採用試験は一次免除なので最大のチャンスである。今年ダメなら来年はまた一次試験から。絶対受かりたかった。しかし、結果は不合格…。

実は前年からの2年間で二次試験を経験し、その合否にやや疑問を持っていたこともあり、落ちた時はショックだったが「今の自分はここでは戦えない」という確信を得ることもでき、私立学校への採用を勝ち取る方向へシフトした。ここらへんのことについてはいずれ別記事にしたいなと思っている。


常勤講師へのステップアップ、そして

3年目の秋、隣県の私学が常勤講師の募集をかけていた。特に目を引いたのは、自分の専門種目での募集だったこと。迷わず応募したところ書類審査を突破し、面接試験も合格し、常勤講師として採用してもらえることになった。本当に人生どこにチャンスが転がってるかわからないなーと思った。兎にも角にもステップアップ出来たことが嬉しかったし、専任への登用の可能性もあったので俄然やる気が出た。なんとかここで正規採用を勝ち取りたい一心で、とにかく粗相しないように、心証を悪くしないように、そしてこの学校で働いていきたいという気持ちを管理職にアピールした。常勤1年目は一つも他の学校へ応募しなかった。

常勤2年目の夏、校長先生から来年度専任の内示をいただけた。本当にホッとした。28歳になっていた。自分のような秀でた実績や経歴のない、ごくごく平凡な人間が保健体育教師として、正規採用してもらえることに感謝は尽きない。運にも恵まれた。正直言って、たまたま今の勤務校の体育科が定年退職ラッシュで枠も空いたタイミングであったことが一番の要因で、そこは何ら僕にはどうすることも出来ない部分だからだ。そんな幸運にも恵まれて専任になれて、早6年。気付けば教師生活10年目に突入した。


まとめ

長くなってしまったが、時系列でまとめてみた。こうして振り返り、文章化することで自分の中でも整理ができたし、特に精神的に辛かった日々を思い出すことで、今がある有り難みを改めて感じている。全体像が出来たので、今後はパーツ毎に取り出して、いろいろな切り口から記事にも出来そうで良いネタを思いつくこともできた。

同じような悩みや境遇の人って実は多いんじゃないかなー?と最近になって思えるようになった。そんな人たちに届きますように!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!



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