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バイアスの補完関係からなる主観と客観の関係性

客観的に見ることが大事ってよく聞くんだけど、本当の客観視はあるのかなって思うんだよね。
できるだけ主観を取り除くことで客観視できるって理論ではわかるんだけど、それができるかはまた違うわけで。
過去の経験を全部きれいさっぱり忘れることができるなら可能なんだろうけど、そんなことはできないから無理なんだろうって思う。
そもそも経験がほぼゼロである0歳児とかなら可能なんだろうけど、そんなことまで考えられる0歳児はバカボンくらいだし。

僕自身、高校1年生くらいから自己分析するために客観視してたんだけど、それが幻想だってことに気づいてからは悩むようになって。
本当の客観視ってどうやればできるんだろうって考え続けて4年近く経ったんだけど、答えなんて全く見つからなかった。
結局、客観的といっても少なからず経験からくるバイアスはかかるわけで。
そうなるといくら客観的だと思ってもそれは完全じゃないんだよね。

それで軽く絶望してたんだけど、最近答えのようなものを見つけた。
客観的っていうのは、簡単に考えると第三者的に考えることなんだけど、それを完全にできる人はいないから、主観を使うしかない。
主観をどのようにうまく使えばいいのかなって考えたときに、一つのアイデアをバイトからの帰り道で思い付いたんだよね。
主観と主観を掛け合わせれば疑似的な客観になるんじゃないか。
つまり、一方向から見るのはどう頑張っても主観にしかならなくて、完全に第三者的に見ることもできないなら、方向を増やせばいいんじゃないかってことなんだけど。
二方向ないしはそれ以上で見ることで、バイアスとバイアスが補完関係になるんじゃないか。
それによって完全ではないけど、限りなく近い状態にまで持っていける気がするんだよね。

ありがたいことに沢山の種類の教育を受けることができたんだけど、その中にはネガティブな感情を受けることも多々あったんだよね。
今では自分で気づいてるからいいんだけど、どうやら僕は当時の一部の同級生たちにとっては異端だったみたい。
そうなってくるとどうしてもネガティブな感情を受ける、つまりいじめ的な感じになる。
当時の僕は何が原因なのかわからなかったからどうしようもなかったんだけど、そんなことはどうでもよくて。
大事なのは、それも一つの主観であるってことなんだよね。
いじめはいけないことであるってことは変わらないけど、だからと言って主観と客観について考えるときに切り離したらいけないものでもある。

嫌いという感情は大事な要素で、その感情を一滴落とすだけで全く違う色を見せてくる。
それが刺激的な色になるときもあるし、逆にマイルドな色になるときもあるわけで。
なんにせよそれの本当の色に近づくことには変わりないんだよね。
その色を見ることが客観視するってことなんだろうって気がする。
それには自分のメンタルとの相談にもなってくるから難しいね。っていう話。

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Mayu Shiina
僕の生活の一部になります。