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地質観察旅行記:三渓園付近の海食崖
2023年9月に三渓園付近のとんぼ池、および本牧市民公園の海食崖を観察してきたので、ここにその記録を残します。
三渓園付近、とんぼ池の海食崖
三溪園は横浜市中区本牧三之谷にある日本庭園で、実業家でもあり美術愛好家でもあった原三溪によって作られました。
その三渓園の付近のとんぼ池からは見事な崖の露頭が観察できます。
以下に実際の写真を幾つか掲載しますので、ご覧ください。
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本牧市民公園付近の海食崖
三渓園付近のとんぼ池から本牧市民公園にいたる600メートルにわたって露頭が観察できます。
次は本牧市民公園側の海食崖の写真を幾つか掲載します。
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この海食崖はどうやってできたのか?
海食崖とは読んで字のごとく、海岸で波に削られてできた崖のことです。
ですが、この海食崖は海に面していません。
実は、この海食崖はわずか50年前までは海に面していたのです。
今昔マップを用いて、過去の三渓園や本牧公園付近の過去と現在を比べてみましょう。
現在の首都高速湾岸線より外側が海であったことが分かります。当時は根岸湾と呼ばれていました。
この根岸湾は、戦後の昭和34年(1959年)から昭和46年(1971年)にかけて埋め立てられて、石油コンビナートなどができました。
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この海食崖は、下側の灰色の層と上側の茶色の層に分かれています。
これら2つの地層は、できた年代に大きな差があります。
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上側の茶色の層が13万年から12万年前の下末吉層
まず今から280万年から70万年前に、川からの泥、空からの火山灰が海中で堆積して「上総(かずさ)層群、上星川(かみほしかわ)層」と呼ばれる下側の地層ができました。
その後、海面が下降し、波打ち際で削られて この地層の上に層ができない期間が250万年続いた後、13万年から12万年前の温暖化により海面が上昇。
再び海中に沈んだ上星川層の上に、多摩川や相模側からの砂や礫(れき)、箱根火山や富士山からの火山灰が堆積して「下末吉(しもすえよし)層」ができました。
下末吉層が茶色いのは、積もった火山灰には鉄分が含まれており、それが錆て赤茶色になったからです。
この下末吉層は、関東ローム層でもあります。
この海食崖のように、地層の上下で年代に大きな隔離があることを「不整合」と呼びます。
ここだけではなく、多摩地区の地層は、上総層群の上にローム層が堆積していることが多いです。
なお、以下のサイトでもこの海食崖について詳しく解説しています。
こちらのサイトで引用されていた今昔マップを、本記事でも利用させていただきました。
三渓園も見どころが沢山
崖の話ばかり書いてしまいましたが、もちろん三渓園も庭園、古建築、美術品、郷土資料が豊富な素晴らしい場所でした。
それらについては、例えば以下の記事などをご覧ください
三渓園の近くには横浜中華街もあり、私は帰りに北京ダックや小籠包を食べました。
自然の美、人工の美、そして美味を楽しめて、とても良い旅となりました