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地質観察旅行記:平磯白亜紀層

2024年3月30日、大学院時代の研究室の指導教授の退官記念パーティーに出席するために茨城県へ行ったのですが、その帰りに平磯白亜紀層の地層を観察してきました
ここにその記録を残します。

平磯白亜紀層とは何か?

茨城県ひたちなか市の磯崎から平磯にいたる海岸沿いには傾斜した岩礁が幾つも見えます。
これが平磯白亜紀層です。これは、7,500万年前の中生代白亜紀にできた那珂湊層群の地層です。

以下の地質観光マップが分かりやすく概要を紹介してくれています。

https://ibarakitunagugeo.com/wp-content/uploads/geosite_hitachinaka_hiraiso.pdf

海岸沿いには「いばらきヘルスロード」という歩道が整備されているので、のんびり歩きながら観察できます。

平磯白亜紀層はどのようにしてできたのか?

平磯白亜紀層は砂岩、泥岩、礫岩が交互に積み重なる互層になっており、ほとんどが南方向に傾いています。
地震や隆起で崩れた土砂などが斜めに堆積したことで、このような傾斜ができたと思われます。

斜めに堆積した地層

この地層は、濁流などで運ばれた砂や土などの堆積物、タービダイトが積み重なってできたものです。

北の地層は礫岩と砂岩が多く、南の地層は泥岩が多くゴツゴツしています。
この違いは、中生代当時の南側は陸から遠くて水深も深かったので、重い礫岩と砂岩はそこまで到達する前に沈んでしまい、軽い泥岩ばかりが堆積したせいで生じたものです。

北側の地層

磯崎方面、北側の地層には、砂岩と礫岩が多く含まれています。
これは陸から近い場所で、重い粒子が多く堆積したためです。また、堆積量も多いので、1つ1つの層が厚いのも特徴です。
以下に実際に幾つかの地層の写真を掲載します。

南向きに傾いた地層が並ぶ

凝灰質の砂岩や泥岩は風化しゃすく、削られてデコボコした形状になっています。

柔らかい部分が削られてデコボコしている
砂岩と礫岩の多い地層

近くで地層を見ると、複数の層ができているのが分かります。
1回の地震や隆起ごとに、1つの層が形成されます。

1つ1つの層について、大きな粒が下に、小さな粒が上に堆積している

1つの層の下側に砂岩や礫岩が、上側に泥岩が見られます。これは重いものから先に沈むからです。
よって、地層は下から上にかけて、粗い粒子→細かい粒子→粗い粒子→細かい粒子→粗い粒子→細かい粒子と交互に積み重なります。
ただし、ほとんど礫岩や砂岩しかない層も多く見られました。

また、気泡のある地層や石も目立ち、砂岩や泥岩が凝灰質であることから、火山灰や火山ガスが当時に発生していたと思われます。
地震と共に火山噴火も起きていたのでしょう。

気泡のある石
磯にあるので観察しやすい地層
1つの層が厚い
礫岩の層が目立つ地層
南側へ近づくにつれて、黒っぽい泥岩の多い層が増えてくる

逆列岩と酒列磯前神社

北側と南側の中間地点あたりに、一か所だけ傾き方向が北向きになっている地層があります。
これは逆列岩(さかつらいわ)、もしくは畜生岩と呼ばれています。

他の岩礁と向きが異なる

これは何らかの理由で地層が一回転したものと思われます。
その証拠に、この地層の粒子は下側が細かく、上側が粗い逆転層になっているそうです。
先ほど述べたように、本来はこの逆なので、地層が回転したことが分かります。

北側の磯崎には酒列磯前(さかつらいそさき)神社がありますが、この社名の基になったのが、この逆列岩(さかつらいわ)です。「逆」の字に「酒」を当てて酒列(さかつら)としました。

酒列磯前(さかつらいそさき)神社

万葉集には
「左奈都良(さなつら)の丘に粟蒔き(あわまき)かなしきが 
駒は食ぐ(たぐ)とも我(わ)はそともはじ」
という詩があり、奈良時代には既に逆列岩は有名であり、地名にも転じていました。

神社では干支の動物と逆列岩を描いた朱印を販売しています。

干支の動物と逆列岩を描いた朱印

平磯海岸を観察に行く際には、酒列磯前(さかつらいそさき)神社に立ち寄るのもいいと思います。海岸に面した階段もあるので、通行も便利です。

海に面した鳥居と階段

南側の地層

平磯方面、南側の地層は先ほどに述べたように、中生代当時は陸から遠いことで軽い泥岩ばかりが堆積し、(土砂が遠い海まで到達するのは難しいため)その堆積量も少なめになります。
そのため、色が黒っぽくなり、層の厚さも北側に比べて薄くなっています。

色が黒く、層の薄い南側の地層
海岸に並ぶ岩礁
剥離しやすそうな薄い層が重なる
薄い層は風化して剥がれ、表面がデコボコしている

近づいて観察すると、泥岩の層が多いことが分かります。

灰色や黒っぽい細かい粒子の泥岩層が多い
波が岩礁にぶつかる風景が見られる

くじらの大ちゃん

平磯まで到着すると、くじらの大ちゃんと呼ばれる滑り台やオブジェが見られます。

昔に鯨が魚を追いかけて平磯海岸に表れ、おかげで豊漁になったことから、鯨を祀り上げ、平磯のシンボルとしたそうです。

くじらの大ちゃん
くじらは平磯のシンボル

平磯ではサメの化石や異常巻きアンモナイトの化石なども見つかっています。
そして、当日には磯では釣りや磯の生き物を観察する人々が多く見られました。
昔から今にいたるまで、平磯は海の生き物が豊富な場所であることが分かります。

見和層

白亜紀層とは異なりますが、海岸の反対側の崖、海岸より高い位置に12.5万年前の見和層があります。

実は今回、そこを見つけることができずに通り過ぎてしまったので、次回に平磯へ行く機会があれば忘れずに観察したいと思います

大洗にも足を延ばす

平磯から更に南に行くと大洗に到着します。
私は ついでに大洗磯前神社やめんたいパーク、大洗マリンタワーにも立ち寄りました。

大洗磯前神社の鳥居からの風景
海岸の鳥居

久しぶりの大洗は、町中にはガルパンの立て看板が立ち、神社の絵馬にはガルパンのイラストがあふれ、マリンタワーではガルパン喫茶があり、レンタルサイクルでそれらを回るガルパンさんが沢山いて、凄いと思いました。

私が院生だった頃はガルパンは放映されておらず、当時は今よりも景気が悪かったこともあり、大洗はもう少し寂しい感じのする町でした。
つまり「ガルパンはいいぞ」というわけですね。

最後は、店内から海岸の鳥居が見えて、あんこう鍋のおいしい有名店「山水」で食事をして帰りました。
このお店は今は亡き父と何度も通った思い出のあるお店でもあります。

あんこう鍋のおいしいお店、山水

ちなみに、帰りに歩数計を見たら、この日は23.7キロも歩いていました

朝から歩きっぱなし