見出し画像

5月26日(木)人を見る。そこから後の話。#104

みなさん、(おはようございます。)(こんにちは。)(こんばんは。)

今週は、少し違ったところにアウトプットの時間を割きたいと思うので、今週いっぱい短めの記事になっていますが、どうぞよろしくお願いします。

ここ二日間くらいの記事を読んでくださっている人は分かると思うのですが、哲学者の言葉から考えたことをアウトプットしています。

そして、今日もそんな感じの記事を書きます。

今日の言葉はこれです。

他人を見て、何をなすべきかを知る者もいれば、何をすべきではないかを知る者もいる。


これは、エリック・ホッファーというアメリカの哲学者の言葉です。

画像1

エリック・ホッファーの来歴については、スマホなどでググってもらえたらと思うのですが、常に社会の最底辺に身を置き、働きながら読書と思索を続け、独自の思想を築き上げた哲学者です。

港で働いていたことから『沖仲仕の哲学者』として知られています。


さて、もう一度このエリック・ホッファーの言葉を見てみましょう。


他人を見て、何をなすべきかを知る者もいれば、何をすべきではないかを知る者もいる。


この言葉から、

誰かの行動や言動によって、

自分の感情が負に振れた時ほど、何をすべきなのか、何をすべきではないのかを吟味する必要がある。

ということを受け取りました。

つまり、ネガティブな感情になったら衝動的に行動してはいけないということです。

分かりやすい例でいくと、自分があまりよく思っていない誰かの陰口を、他の人が言ってる場面に遭遇した時、どんな行動をとるかということです。

そこに共感して、その陰口に自分も一緒に加わってしまうのか。

それとも、誰のことであっても陰口はよくないと、そこから離れるのか。


他の例でも、自分と同じくらいの力だと思ってた子が、幸運にも成功した場面を見たとき、素直に祝福するのか、嫉妬して知らんぷりをするのか。

これはSNSなどに置き換えても考えることができます。


答えは明白なように思えるんですが、その時の自分の状態によって、簡単に感情や衝動に流されるんじゃないかと思っています。

自分自身で置き換えてみても、その時に満たされてなければ、素直に誰かの成功を喜べなかったこともあるし、すごく苦手な人や、過去に攻撃されたことのある人の陰口には、ついつい参加してしまったことがあります。

いや、その時に満たされていないとか関係なく、普段から自己肯定感が低ければ、明らかにおかしい選択を自分自身を正当化しながら選んでしまうかもしれません。

その選んだ選択で一時的な快を得ることができたとしても、それは長続きすることはないし、必ずどこかでマイナスに働くと思います。

これから自分のネクストアクションを考えるならば、

ネガティブなことをネガティブなままで受け取った行動をとらない。

ポジティブなことをわざわざネガティブに変換にした行動をとらない。

どちらでも自分にとってプラスになるような行動へと繋げていきたい。

これかなと思っています。

もう少し解像度を上げると、

どうにもできない誰かの苦しみまで自分勝手に背負わないようにすること、自分の不幸の押し売りをしないこと、前向きになれる言葉や事実に前向きに反応していくこと

あたりかなー

ちょっと感情が振れた時こそ一度立ち止まって考えようと思います。

ちなみに今回の記事のトップ画像にもエリック・ホッファーの言葉を使っているので、こちらも再度貼らせていただきます。

画像2


ってことで、今日の記事は終わりです。

読んでいただき、ありがとうございました。

こちらのnoteですが、現在、連続104日更新中です。よろしければフォローしていただいて、面白そうだな!という記事を読んでくださると嬉しいです。(もちろんスキもTwitterなどでのシェアも喜びます!

お時間あれば、ついでに過去記事もどうぞ!






いいなと思ったら応援しよう!