宝塚花組公演「アルカンシェル」感想
アルカンシェルや宝塚歌劇団の組織風土へのネガティブな意見しか書いていません。
しかし、これはアルカンシェルを面白い、好きと言っている方を否定するものでは全くありません。
お互い悲しい思いをしないためにも、お願いだからマイナスな感想見たくない方は絶対に読まないでください。
アルカンシェルのネタバレを含みます。
なお、読後の一切の責任を負いません。
はじめに
もう終わったから書きますが私はこの公演に百単位のお金をかけていました。
それらを払った上で見た初日、この公演が出てきた時の絶望感は表しようがない。
ストーリーも衣装もお世辞にも良いとは言えない。これはキャストが頑張ってどうにかなるものではない。
1幕が終わった時点ではまだ2幕があるから、と希望を持っていたが、すぐにその考えは消えた。
全てが薄いストーリー。偶然解決した、または時間が解決した、でどんどん進んでいき、何とかなっちゃったなで終わるふわふわした作品。
ナチスドイツ側の葛藤が描かれることもなく、本当に全てが薄い。実際にあった戦争をテーマにしてこれ?微妙なコメディーも入る。入れるな。
その後フィナーレの衣装が出てきた瞬間の気持ちは言葉に出来ない。ださい衣装。羽根。何これは。
11年追い続けた人の退団公演がこれなのか。数年かけて貯めた退団資金をこれに費やすわけ?終わったな。
観劇後色々な考えが頭の中を駆け巡った。
帰りは放心状態。認めたくないけど、これにお金かけてるから本当に認めたくないけど、駄作であることは否定できない。
この気持ちは同じ境遇にある人しか理解出来ないと思う。
11年推し続けてきた人の最後の男役姿がこれなの?この作品なの?関係者各位ちゃんと考えた?
それからしばらくは悪夢続きで自分の叫び声で起きるという最悪な精神状態。
真夜中に夢遊病のようにふらふらしてたこともあったらしい。記憶にない。
舞台に生かされることもあるけど殺されることもあるんだなって初めて知った。
この脚本家はそれを理解してない。あなたの作品は人の心を殺しますよ。
逆にここまで精神攻撃出来る作品を作り出せる才能はある。
面白い、好きだと思ってる人を否定する気持ちは全くないです。考え方は人それぞれだから。
推しの退団公演じゃなかったら、お金かけてなかったら、遠征ありで約3ヶ月通い詰めて数十回見る予定じゃなかったら、あーはいいつものですね、で終わってた内容。その状態でこの文章読んでも可哀想だな〜言うほどかなとしか思わないはず。だから私にとってある意味悪条件?が重なった結果こうなってる。
1.アルカンシェルについて
1-1.ストーリーについて
何回見ても薄いストーリー。2時間半かけて何も起きない。起きるけど起きない。
小池修一郎、寝ながら脚本書いた?それかやる気なかった?
まさかこれを最高傑作だと思って出してるはずがない。本人がこれが最高レベルの演劇です最高傑作ですこれ以上の脚本は書けませんというスタンスで書いてるならごめん。その場合はどこがどう最高だと思ってるのかは教えて欲しい。
この脚本が宝塚の大きさの劇団でそのまま上演されてることに驚きなんだけど、大御所だから第三者からの意見も入らないんだろうな。
そんなの裸の王様じゃないですか。この作品を商品として世に出すのは演劇界を牽引する宝塚歌劇団としてどうなんですか?
ストーリーの薄さだけだったらシンプルおもんないで終わってたけど、ナチスドイツをテーマにしたことで笑い事に出来ないのがやばい。ナチスドイツについては後述。
脚本については感想がたくさんあるので箇条書き。
ストーリーテラーがト書きかっていうくらい全て説明する。言わなくても分かるよってことまで説明してくる。口頭説明で全てを乗り切ろうとしてる。ここまで説明してくるストーリーテラー初めて見た。演出って何だっけ。舞台とは。
ドイツ軍にバレないようにジャズを公演しよう!の展開ガバガバすぎる。観客全員にレポ禁お願いするんか?というようなお気楽展開、ご都合主義展開が最後まで連続するので、薄っぺらい。電話かかってきた時本当びっくりした。
ウエクミ先生が感情の抑揚の大きさは劇場の大きさに比例させる、と言っていたインタビューがどれだったか分かる人いたら教えてください。アルカンシェルもバウだったら丁度良かったかも。
退団者に台詞がほぼない。(ジャズシーンの前に一言あるね)2時間半も当て書きで芝居してるんだから台詞もっとつけられるでしょう。それが座付き作家としての役割なんじゃないの。
退団公演は駄作、小池オリジナルは良くないのが定式というの見たけど、そうならないようにするのが作り手側の矜持なのでは?駄作でも仕方ないなって考えで作られてるものは誰も見たくないよ。
作品が良くなくてもキャストの技術でどうにかするって、いやどうにかしたものではなく相乗効果があるものを見たいんですが…。宝塚に限らずおじさんって何でつまらないギャグ入れるの?客観性がないから?
まどかちゃんがギャグシーンはカトリーヌが言わないような台詞なので柚香さんとどう演じるか話し合いました、と言ってて、それを役者に言わせる(しかも脚本家には言えない)脚本って…。言い方が控えめになり、アチーーーー!があつっ!に変わり、かなり自然になっててこれは本当に2人に感謝。
演出家振付師がいなくなったにも関わらず頑張りましょう!の根性論で乗り切ろうとするところと、居残り稽古を連呼するところ、日常仕草なんだなって思ってる
こんな薄いストーリーなら2幕ショーが見たかった。発表された時からショーなし退団であることに文句を言っていたけど、この脚本なら1時間で十分すぎるほど十分。
この作品でも連日席は埋まるんだからすごいよ。劇団はそれに胡座かいて作品の出来なんてどうでも良いんだろうな。それっていつまで通用するんだろう。
演出は演者を生かすことも殺すことも出来るんだなってことが宝塚見てると分かる。あと年配の演出家は価値観が昭和で止まってることも。アップデートする気もさせる気もない。
もっと燃やして焼き尽くしてやるの台詞といい、語彙が昭和のおっさん。
ニューヨーク行かなくていいの?
虹ってタイトルなのに虹でなければいけない理由が見当たらない。劇団の名前がアルカンシェルなのと、最後にあ虹だで虹が出てくるだけ。国語みたいに悲しい場面で雨降らせて最後虹出すとかにしたらまだ虹の存在価値感じられたのに。(新人公演では雨が上がったから虹が出たんだね的な台詞が足されてた。)
フリッツが何回やらかしても処刑せず左遷で許してくれる謎の心の広さを見せるナチス軍(?)、ジョルジュがコンラートを殺したにも関わらず処刑せず生かしてたから、逆に何やったら粛清されるのか気になる。
現代のキャラがキーウのことキエフって言ってて、単語1つ大切に扱えない人間が戦争をテーマにしてはいけない
キャストの皆さんは素晴らしかったです。台詞が一言もない演者も、背景作り込んできたんだな、こういう性格なんだろうなっていうのが一目で分かる芝居をしていて、私は宝塚の全員が台詞の有無に関わらず全力で役作りをしているところが好きなので今回もそれが見れてよかった。
1-2.ナチスドイツの描き方について
ナチスドイツ側の人間の葛藤が全く描かれない。ナチスドイツが何をやったかも描かれない。
ただ鉤十字がアイコン的にあらゆるところに使われている。
ナチスドイツである必要性は感じられない。これはナチスドイツに真剣に向き合って作られた作品では絶対にない。
フリッツはナチスドイツ側(親衛隊ではないのは知ってる)でナチスがやっていることを理解しているはずなのに葛藤が描かれず、ただただエンターテイメントが好きな良い人として描かれてる。
アネットがフリッツに対してあなたが軍で何をしていても私には関係ないって言うけど、これが素敵な感動的な台詞とされていることにも違和感がある。関係なくはない。
ジョルジュの裏切りまでの経緯も考えも葛藤も脚本には入ってないので、彼の真の心情もよく分からない。
ただ綺城さんが台詞がなくとも表情と仕草で分かりやすく表してるから、それで感情が伝わってくるのが救い。
ナチスドイツの描き方については初日開けて数日経たずに批判されて荒れる始末。ナチスドイツの取り扱い方について真っ当な意見だと感じたけど、叩かれてた。
宝塚界隈はネガティブな意見を言うこと自体を忌避する。そういう風潮がある。マイナスなことを言ってはいけない雰囲気がある。この文章も批判されると思う。
話が少し変わるけど、オランダにホロコースト記念碑があり、オランダでナチスに殺された10万人の名前や年齢がレンガ1つ1つに刻まれている。これが完成したのは2021年。現地では全く過去のことにはなってない。
今作の脚本家はわけ分からんくらいの名前に囲まれて、やるせなさを感じたことはないんだろうか。
アンネフランクの隠れ家に行って通るのが難しいほど狭い通路に悲しさを覚えたことは?
映像の世紀見て泣いたことは?
別に具体的にどういう経験をしたかは関係なくて、経験を経てこの話題は軽々しく扱ってはいけないのだ、という気づきを得たかどうかが重要だと思ってる。物語を作る側は特にそういう感覚って持ってるべきではないの。
ナチスドイツが何をやったかも描かずに、ナチスドイツをテーマにするのって何?
1-3.衣装について
衣装が何とも言えずださい。安っぽい。
良い衣装もあるんだけど(ポスターにもなってるまどかちゃんのドレスは本当に可愛い)フィナーレ以降の衣装が全てださいので終わった後の印象がださかったな、で終わる。
月組ショーでプロローグとフィナーレに全振りして衣装豪華にしてたのは戦略的に正しかったんだなと思う。観劇後の印象がそれになるので。
開店祝いみたいな大羽根、毛細血管みたいなドレス、薔薇のプリント、デュエダン衣装、歌唱指導衣装、サテン衣装全般が特にださいと感じた。
薄井先生は日本物は変だと感じたことないから(それこそ珠城さん退団公演の桜蘭記)なぜ今回こんなに受け入れ難いのか考えてみたけど、
薄井先生の特徴である切り返しの多用、異素材の組み合わせ、何とも言えない色味、生地、オリジナル?プリントが日本物では制限されるから結果日本物は無難に、洋物は個性あふれるものが出来るのではないか、という考察に至った。
最初はサテン生地が安っぽく感じるのかなと思ってたけど、その後月組で有村先生と加藤先生がサテン生地メインの可愛い衣装作ってて、別にサテンが悪いわけではなくデザインの問題だと思い直す。
豪華で可愛い衣装を常に見ている衣装部がこれを心から素晴らしいと思って作っているとは考えられないので、これもチェック体制きちんとしたらどうにか出来たのでは。
予算がないなら過去作品のきちんとした衣装を使い回して欲しかった。
宝塚の衣装は基本的に有村先生と加藤先生で回しててやばくなることはあまりないんだけど時々こうなる。河底先生とか。
前に刀ミュ江おんの衣装に引いて、推しがあんなださい衣装着てたら何見れば良いんだろう、顔?とか思ってたけど顔以外見れない。衣装に脳内でモザイク処理かけるしかない。フィナーレ娘役のスカートのフリルむしりたかった。
同時期の星組の衣装が予算かかっててデザインも可愛くて、同じ劇団のものとは思えないレベルで、なんで宝塚は脚本においても衣装においても人によってこんなにレベルが違うんだろう。
結論これも第三者チェックの話に収束する。
2.宝塚の組織風土について
2-1.セクハラパワハラ問題について
セクハラが告発された小池修一郎を変わらず登用する演劇界も面の皮が厚いなと思うけど、まあ演劇界全体がそういうことが罷り通る業界なんでしょうということは色々なところから感じる。
宝塚はとにかく価値観も倫理観も現代に追いついてない。
恐らく宝塚を知らない人が想像するより遥かに時代に取り残されている。
だから全てにおいて第三者のチェック体制を整えたほうがいい。今回もだけど、なんでこの脚本が表に出てくるのか不思議って作品がよくある。同性愛を茶化す台詞とかね。
価値観が古い作品を世に出せる感覚とパワハラセクハラ問題は地続きだよ。
月組コンサート「GOAT」の寸劇でマイクロアグレッションを披露したことは記憶に遠くないけど、価値観が昭和で止まってる。(片言で外国人真似、日本人なら誰でも出来る、セーラー服脱ぐ的な台詞など)
あれで笑い取れると思ってるのもやばいし、実際取れてるのもやばい。全部やばい。
そしてキャストもそれに乗っかるのを見て、狭い世界でそれが遅れてるとも分からず生きていくのは可哀想とも思えた。
以前七海さんが言ってた通り竜宮城である。
でも内部の考えも凝り固まってるから、風土を変えることも出来ないんだろうなっていうのがあらゆるところから伝わってくる。
例えば、娘役は徹夜でアクセサリー作るとか、娘役が男役の化粧前に毎日花を添えるとか、それらを美談として語るところも。宝塚は女性だけで構成されているのに男尊女卑が蔓延っている不思議な場所。
根が深くこれは消費者がどうにか出来る問題ではない。このまま気付かず沈んでいくか、変われるかは組織の問題。
今回、アルカンシェルという劇団を明らかに宝塚に見立ててるんだけど、その上で今たゆたえども沈まずと何度も演者に言わせ、観客を感動させようとするのは皮肉に思える。
沈ませてるのはパワハラセクハラを許容した組織だし、パワハラセクハラをした人間だし、しかも小池修一郎はセクハラ加害者の1人じゃん。どの口が。
こういうことを考えていても、なお宝塚を見続けているのは単純に宝塚が作り出すキラキラした現実離れした舞台が好きだから、なんだけど一方裏で人間が1人亡くなり、それに伴い1人の俳優人生が断たれた事実が頭の片隅にあって、最近はただ好きの気持ちだけでは乗り切れないなと思ってる。
2-2.宝塚の脚本について
まず、宝塚の強みって組の全員が同じ熱量で同じ方向性を向いてることだと思う。
10代から寮生活で家族より長い時間を過ごしてる、しかも舞台に向ける熱量が同じくらいの俳優達が、毎公演同じ座組でやるから阿吽の呼吸で滑らかに舞台が進んでく。
本当にタカラジェンヌの舞台への熱量はすごい。台詞が無くても1人1人キャラの人生や背景や性格を作り込んで芝居してる。端の端まで全力で舞台に立ってる。舞台、芝居、歌、ダンスが好きなんだな宝塚が好きなんだなってことが端々から伝わってくる。
まあ穿った見方をすると、そこまで舞台を好きじゃないと続けられないくらいのやりがい搾取があるけど。
だからこそ良い脚本が来た時の相乗効果が半端ない。
今すぐ思いつくのは星逢一夜、金色の砂漠、fff、DEATH TAKES A HOLIDAY、赤と黒、竜の宮物語、ストルーエンセ、はいからさん初演、花より男子。
そしてこれらの作品はかなりの確率で演者がターニングポイントか印象に残った作品として話題に上げる。
だから良い脚本演出を作ることは役者の成長にも繋がるし、観客の満足度にも繋がるし良いこと尽くしなんだけど、打率は高くない。
芝居は再演含めると体感6割面白くないor時代錯誤、2割あまり印象ない、2割面白いって感じ。
数十年前の作品をそのまま再演する、年配脚本家で価値観アップデートされてない人が多い、大劇場デビューまで10年かかることもあって若手が続々出てくる状況ではない、スター制度でストーリーが限られる、キャストありきのキャラ造形、とか色々色々問題や壁あるんだろうなってのも伝わってくる。
あとは宝塚は脚本関係なく客席が埋まるので脚本を良くする必要性がないっていう状況も大きい。
だけど、内部には舞台を専門的に学んだ人がたくさんいるはずで、私よりもっと脚本について考えている人がいるはずで、だから第三者チェックを入れれば少しは状況が改善されるはず。
でもこれも大御所に口を出せないっていう問題があって実現するのは難しいんだろうなという諦めもある。
最後に
つらつら書いたけど要約するとアルカンシェルの脚本はつまらなかった。あと宝塚歌劇団の組織風土はやばいってことです。
推しの退団公演でこんなに恨みつらみを吐き出すことになるとは思わなかった。
2回目以降はストーリーを頭に入れずダンスと歌だけを見る、衣装を視界から外すことで何とか乗り切った。これを数十回と見るの本当にきつかった。
じゃあ見なきゃいいって意見は最もだけど、私は推しの最後の男役姿を目に焼き付けるために通ってる。
作品を受け付けないので通いません、と思えたら良かったね。
この作品が退団公演じゃなければここまで恨みつらみは出てこなかった。
明日海さん退団時にも明日海さんファンが文句を言ってて、当時はその気持ちが分からなかったけど、今なら分かる。
分からない方がいいけど、もしかしたら今後分かる人が出て来るかも。これは地獄。
でもキャストは本当に素晴らしかったし、とても素敵な千秋楽を迎えていてそれは良かった。
何度も書くけど、私は面白い好きと感じてる人を否定する気持ちは全くありません。
人によって考え方感じ方は違うし、これは私がこう感じました考えました、というだけでしかない。
ここで思ったこと全部書いたからすっきりした!とは当然ならず、このことは一生恨んでいくんだと、墓場までこの気持ちを持っていくんだと鬱々とした気持ち。