見出し画像

独立系ベンチャーの設立から30名規模までの5年間まとめ - Part.1 (創業1年目まで)

前置き

2019年に設立したrayoutも4月で5年が経ち、会社も30名規模になってきました。最近では、「会社がどこに向かっているか分からない」「経営陣が何を考えているかが分からない」といった声も増えてきたので、社内や求職者へのコミュニケーションを目的に書き留めようと思います。

2024年4月のrayout

筆マメではないので、noteの習慣化が難しいものと判断して
・文章を飾らない
・カッコつけない
・挿絵は1分以内でパッと作る

という自分ルールの下、まずは週1回、1ヶ月間投稿ができれば合格という目標設定で運用します。


創業までのキャリア感

簡単にこれまでのキャリアをまとめると、愛知県の南山大学という中の中くらいの大学を出ており、サラリーマンとしてのキャリアは23歳くらいから26歳くらいまでの実質3年ちょい、且つ50名以上の組織にいた事がないようなキャリアです。

※ スタートアップの経営者って高学歴とかハイキャリアな方が多いと思うので、マス層からは等身大に感じてもらえるかも。

【1社目】(インターン)22歳くらい
サイバーエージェントのグループ会社。グループ会社へに応募に来るインターン生の面接と斡旋みたいなことを7ヶ月くらい。
※ 4〜5人くらいの同部屋の (タコ部屋) 寮に住み込みで働く。

【2社目】23歳~24歳くらい
イシン株式会社という雑誌やWebメディアの会社に新卒入社。ベンチャー企業の経営者に向けての記事広告を販売(広告営業)。基本的にはリスト作成・テレアポ・商談・会食の繰り返し。商材の販売難易度が高かったので、商材力以外の付加価値を如何に作るかというところを考えることは勉強になったし、オンライン記事とかはちょくちょく自分でも書かせてもらえたのは楽しかった。
※ 収入がさもしい状況だったので、土日バイトしながら家賃6万円の物件に、男2人でシェアハウスしていた。(彼は当時まだ小さなスタートアップで働いてて、今ではどんどん大きく成長していてすごいです)

【3社目】24〜26歳くらい
株式会社ろけすたという、ロケ地のマッチングサービスをやっている会社に入社し、企業とクリエイターのマッチングサービスの立ち上げから拡大に携わる。
ベンチャーだったので月に10件くらい案件に関与していたので、動画とかWeb制作のド素人から、プランナーやプロデューサーとしての経験を最短で多く積むことができた。
成長に貢献できた部分少々もあり、26歳で役員を任せてもらった。
スモールビジネスが大きくなる過程を生々しく経験できたことや、事業の戦略面から任せてもらえたり、企業間のアライアンス、グループ単位のマネジメントなど手を挙げれば幅広く任せてもらえたのがすごく貴重な経験になった。※ メンバーがみんな自分より年上の方だったので大変だった。

創業

rayoutは2019年に下北沢の近くの家賃6万円のアパートで創業しました。
なぜこのタイミングで起業したかというと、自分が人生を賭けて継続して取り組めるミッションを見つけたからという理由です。

それまでも事業を任されたり、起業ごっこのようなものもやってきましたが、短期的なお金儲けだったり、事業として突き詰めた先の世界が面白くなくて興が乗らないものだと感じたら途端に飽きてしまうという人間だったのです。

その会社を設立した経緯は2020年にnoteにまとめてます。

創業する3ヶ月くらい前に「絶望死」とか「ベーシックインカム」という概念を知り、成熟社会になればなるほど生産性の格差は広がり、貧困ではなく「社会への自己効力感の低さ」が人を絶望させ、死に至らしめると言うものでした。

かく言う私も11人家族の4男として、小学校の時の将来の夢に「皿いっぱいのウィンナーを食べる」を何の違和感もなく宣言してしまうような環境で生まれ育ったので、お腹が空いているという状態には子供の頃から親しみがありましたが、それなりに幸せでしたし絶望というワードからは程遠いものでした。

「社会への自己効力感の格差をなくす」→「その人らしさを価値にできる社会を実現する」という人生のミッションを100%で抱くことができたので、rayoutを創業し、今でもこの想いの根幹は変わっていません。

創業1年目

まずは創業してから考えたことが、30人くらいの社員、300社くらいの顧客基盤がある中でキャッシュカウ事業とシナジーの効く自社プロダクトを作る、こんな状態を作れれば大企業の一部署と渡り合えるなという漠然とした感情を抱いてました。

なのでまずは、これまでの出版と動画の経験を活かして、企業の販促物(動画、パンフレットなど)を受注し、制作はフリーランスのクリエイターさんを案件ごとに最適な方をアサインしてプロジェクトを進めていくという事業を祖業として始めました。

設立1年目のサービス資料

創業してから半年ほどは、ほぼフリーランスのような働き方でした。企業の動画制作やパンフレット制作などの案件をひたすら貰ってきて、昼間は営業、夜は企画書の作成やライティングに当てていました。

有難いことに2ヶ月目くらいから売り上げが上がり、このまま一人でやっていたら結構稼げそうだなぁと言う感情と、早く誰かと一緒に働きたいなあと言う孤独感を抱いていたことを覚えています。

そんな中で、8月〜10月にかけて立て続けに3人の社員が入社し、それに伴い9月に下北沢のマンションオフィスに移転しました。

1LDKのマンションオフィス 家賃は確か9万円くらい ザワさんと山岸
会議室はほぼ取調室

この頃は会社と呼べたものではなく、とにかく私が営業してきた案件を、社員で捌くという感じで、夜中まで仕事をして昼くらいに出社してくるみたいな感じでした。(金曜日は室内での喫煙OK)

現取締役のひょねん

新卒時代の同期で今の取締役のひょねんも、この頃入社してきており、「めっちゃ儲かるしクリエイティブだし最高に楽しい」という安直だけど関西人へは効果的なワードで入社してもらい、翌日には1日300件ほどテレアポをしてもらうという、綺麗なフリ落ちで、なし崩し的に迎え入れました。

世の中のプロダクションや制作会社は軒並みハイクオリティでかっこいいものを作っていくという中で、弊社はせいぜい3年くらいの業界経験しかなく、広告やクリエイティブの知見は皆無だったので、この頃から一貫して、rayoutの強みは伴走力だった気がします。

要は、経営課題、広報課題、人事課題などの、広告の知見よりも言語化や設計のウェイトが高いプロジェクトに対してファシリテーションバリューを発揮し、そこから最適なフリーランスのクリエイターでチームを作って進行管理するみたいな感じです。
※ そのおかげで弊社は広告系の案件が比較的少ないです。

1期目は主にこの4人で、力強く走りきり、1期目に5300万円の売り上げを計上しました。そして次年度の期首に新たに4名のメンバーを迎え入れることに成功しました。

Part.2へ続く 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?