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また、いつかどこかで
サプルにて
八幡でお世話になった2人に明日東京に帰る話をしたら「また遊びに来てよ」とか「また会おうね」って言ってもらった。
その話を聞いていたであろうサプルのオーナーさんにも「じゃあまた」と言ってもらった。
昼頃、KEIZに挨拶に行った時も「また来てよ」「また遊びにおいで」と。
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「また」という言葉を使うか使わないかで、次会いたいと思っているか否かがわかる、みたいな恋愛テクニックがあるらしい。
それを知ってから、恋愛の場面に限らずその言葉に敏感になったが、自分はなんだかそれ以上の深みというか奥行きというか、そんなものがあるんじゃないかと思うようになった。
今日言ってくれた人たちがそこまで意識しているかはわからないけれど、その言葉には、未来で人と人を繋げる力だけではなくて、奥に何かしらの想いがあるんじゃないかと。
特に、友達とか地元の人が相手ではなくて、遠くに離れるとわかっている人に対して。あとで会うことが決まっていたり、簡単に会えたりする関係ではない人に対して。
確実に会えるとは限らないのに、「また」と言うのは、
ちょっと変だけど、ちょっとロマンがある。
岐阜住学を通して知り合った、すべての人へ
また、いつかどこかで。