忘れもしない平成最後の3月25日のハナシ
お疲れ様です。
さて、過去2回に分けてワタシのプロフィールと体たらくっぷりをアピールしたわけですが、この平成最後(2019年)の3月25日。ワタシの人生を運動バカに180°変えて且つ出来事がありました。
どんなことがあっても、長続きせずずっと風船のようにカラダがデカくなったり小さくなったりデカくなったりデカくなったり…あれ?小さくなくなって来たぞw焦りはあれど行動に変わらない。まぁいっかってフツーに思いながらも着痩せする服を好んで着ていましたので、やや気にしていたのかな?と思ったり。
そんなこんなで何ひとつ変わらないまま迎えた平成最後 (2019年 )3月25日。いつものように下の子を保育園に連れて行ってからの出勤。09:30ごろに職場に着くとただならぬ雰囲気。なんと52歳の先輩が倒れていたのです💦
丁度会社内の保健師が到着したタイミング。隣に座っていた定年後にシニア採用で働いていた大先輩が違和感を感じたら、その直後に立ち上がりそのまま倒れたそう。
ただならぬ状態から会社の通常手番をすっ飛ばし119番に。当時その部署の管理職をピンでやっていたワタシは、人事システムに入っているであろう個人情報にアクセス。
しかし、
緊急連絡先の記載はありませんでした…
個人情報保護の影響で人事部門に連絡しないと引き出せないようで、そんな一刻の猶予もないなか変な手間を掛けられません。
ふと思い出したのが、まだ個人情報がユルユルな時代にやっていた連休前にみんなで書く予定表。そこには当時書きたくもなかった旅行先と旅程。そして緊急連絡先が書いてあったのです!
救急車が到着し、救急車の中でご自宅に連絡しても取ってもらえず、奥様の携帯に電話すると漸く通じ、至急病院に向かうようお願いしました。
丁度お子さんの面倒が大変だった時らしく、第一声で言われたのが
「それって急ぎますか?」
でした…いや、なるべくと言うか急ぎでお願いしますと伝えました。
このやりとりをした直後には既に病院に着いていて、手術の承諾に身内の了承が必要なフェーズに来てしまいました。
脳梗塞
だったんです。血栓が右側の血管に詰まりそれを取り除かなければならない。そんな状況でした。
きっと大した時間待っていなかったと思うのですが、奥様が到着。来た瞬間に事の重大さを把握され、大急ぎで手続き実施。
その後奥様と2人で「古びた病院の薄暗い待合室」で1時間くらい待ったでしょうか…きっと30分くらいだと思いますが、それはそれは長く感じました。
ワタシのその時の気持ちよりも気が動転している奥様を見ているのが辛かった。声なんてかけられる状態じゃない…ホントそれが辛かった。
このとき決意したんです。
どうせ死ぬなら不摂生で死なないようにしよう
いや、この先輩が酒もタバコもやるし腹は出てるし不摂生代表格だったんですよwワタシはタバコ吸わないだけであとは一緒。家族にこんな想いをさせちゃダメだなって素直に思ったんです。ここでスイッチが入ったのは間違いありません。
それでもゴールデンウィーク後半まではスイッチは入らなかったわけですが…
なお、この先輩。周りの人の初動が良過ぎて奇跡的にほぼ元通りに生還しています!入院中も周りと全く違う病状。暫くしてリハビリ病院に移りどんどん復活して、その年の9月にはなんとツールド東北の100kmを完走しています!ワタシが極度にツールド東北に思い入れが強いのもこれが理由だったりします。
余談ですが、そんな入院でやめた酒もタバコも復活させた先輩は大好きだったりしますw
なんせワタシの人生180°変えてくれちゃいましたからね。
と言うわけで、これが運動バカになるきっかけでした。次はランニングを始めた頃のハナシをしようと思います。
次の記事。