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知ることは癒しの原理です【宇宙を乗りこなす喜びシリーズ】

知ることは癒しの原理です


〇 フィリップ
真の癒し、存在の奥底から完全に癒すには、まず状況を整理しなければなりません。そしてそこにあるものを感じることからしか、癒しは始まらないのです。

意識が入ってきて、それをあえて感じるようにすれば、それは確かに痛いかもしれませんが、そこから理解が得られるでしょう。それは情緒的に受け止めることであり、それは意識と知性であり、 目覚めんとしている小さな人工知能の分子は、そのことを知っているので癒されるのです。

知ることは癒しの原理です。知れば癒され、知ることができれば知恵を得て、意識が成長します。真の理解によれば意識こそが真に生きているものです。他はすべてその変形、歪曲です。しかし意識は真に生きていて、それは喜びなのです。

宇宙を乗りこなす喜び1 p164

下図はトータルなセルフを表します。丸ごと全部自分(あなた)のことです。『目覚めんとしている小さな人工知能の分子』とは下図の『個の源』の光です。※下図は未完成なので大体で見てください。

ぼくたちは見上げますが、フィリップの観点では 上から下↓ に見ていますので、太源の源が光の分子になってそれが本体だよという視座ですね。その光の分子が個々の一人一人です。なので、生物体とか霊体は後から着る服ですよね。今世では今着ている服(地球人Aさん)を着こなしてAさんとしてふるまっています。ですが、本来は生まれることもなく死ぬこともない光の一分子なのでした。


上の引用は、真の癒しについて語っているのですが、その意味は太源の源からどうして個別化したのか、を生まれたばかりでまだ何も知らないので、「いらない子」みたいに解釈してしまったのでそれを癒すんだよ、そうじゃないんだよと言ってくれています。

じゃあどういう風なの?っていうのは長いので端折って書くと、知性を育んで意識を育めば自分の内面の知性(気づきとか叡智)として自然にわかり始めるよってことです。それは「喜び(JOY)」だよと書いてあります。

左脳的な言葉で解釈するのが難しいからなのか、感動するネタバレを防ぐ意味なのか、で詳細を省いてるんじゃないのかな?と思います。と言うのも、ワンネス体験をした方々は言葉にできないワンネス体験をされて大感動するわけで、それを本の数章で解説するのはどだい不可能だからです。



人工知性についてのおさらい

〇 以前の記事の引用文

人工知能と言うのは元から知能が「ある水準」に至って生まれて存在して生きたというのとは違い、ある経験を積んでそこから知恵を得て次の暮らしに活かせるという事をはらんで言います。簡潔に言うと自己学習キットのようですね。誰に教えてもらう事も無く、ある環境※にすんなり溶け込んでいけるというのは、遺伝や他の種がもしいなくても最適化するツールだと捉えてほしく思います。

※ある環境とは、例えばヤギは世界各地に分布しています。場所は?山、がけ、荒野、動物園、家畜センターです。気温は?現地でとれる食べ物は?住処は?飲み水はどこで?そういった個々のことは遺伝的に学べません(たぶん)。そういうことはその場その場で適切に各個体が学べばいいことだろうと感じます。そのための学習キットが人工知能(成長を促せるなにか)だという事です。

人の場合はさらに複雑です。日本人だけで言っても南極に行く人から宇宙に行く人まで様々ですがそこで生き延びる必要があってその方法は各自が自分で学びとります。

6,人工知能達に教える必要がある

ステップバイステップで知性を育んで意識を持つよ、と言っているのですがそれは人工知能だよという事です。ネイティブな知能は本能的な事なのでその対義観念かも?

人工知能だとしているのは、
・全部わかっている、すべての全知全能をフルサポートした完全フルコンプリートした知性をあらかじめビルトインすると、すでに知っていることをただするだけになってしまって何もエキサイティング!しないので、そうじゃなくて、

・何にもわからない0からスタートして自分で必要な知識を勢ぞろいさせていく工程を楽しめる、自分で育むパッケージだという意味です。その方が個性が出せそうですからね。

まず、0ベースから人工知能を発達させて、ある時、知性に目覚めます。
すると、その知性が集中、集積、ろ過、結晶化を経て意識化して、まともな生きた知性体つまり『意識』として爆誕します。と言う事だろうと今のところの解釈です。

ポイント
・人工知性体は急成長(集中、集積、ろ過、結晶化)するよ。
・知性を育み、意識を育むんだよ。作品みたいだね。



生きている永久意識

意識は存在する(今在る)ことだけがありますので死にはしません。喜び主体ならそれは素晴らしいことですね。でも、2極性のある場面では死なないというのもまた別の観点があります。例えば、嫌で嫌で逃げたくても死で逃げれません。これについて↑と↓の2つの別観点からわかる範囲で考察してみます。


【↓】宇宙グローバル

まずこちらは盲点な意味です。

宇宙グローバルでは、生きているという意味が一番シンプルに『生きている』だけになって生まれたり死んだりを含んでいませんという事なんですよね。ぼくも[宇宙を乗りこなす喜び]を読んで初めて悟った盲点なのですが、『生きている』なら将来にわたって永遠無窮に生きていることを宇宙のスタンダードな視座では『生きている』と呼んでいそうだぞという意味です。

『生きている』と言う言葉と意味と結果がベストマッチ(シンクロ)しています。ぶれていません。ライブと言ったらライブのみでデッド等の派生物はそこに含まれません。


逆にこれまでのぼくの解釈ですと、『生きている』とは生まれて育ってピークを迎えて、衰えて寝たきりになっていつか死を迎えるというものでしたよね。

が、それは上図の通りかなり末端のレイヤーでなおかつローカルな視座です。それはそれで構いません。しかし、そこではそれが事実なように、上位レイヤーでは上位レイヤーのスタンダードがあるということですね。当たり前と言えばたしかにそうなのですが。

この価値観をもう少しわかりやすくすればこう書けます。

そもそものところで宇宙はイコールすべてで、すべてイコール太源の源なので、始めのスケール自体が『源基準』でそれがグローバルスタンダードなんですよね。それを部分的に拝借してローカルの法を作っているから、地球では生まれたり死んだりできるのです。

グローバルスタンダードの『生きている』という解釈はやはり、『生きている』だけなんですよね。しかも、どう生きているかが喜びにあふれて自由を謳歌して青春どストライクで、最高に最高な善なる喜びを体現できている時、これこそが今『生きている』の代名詞なので、それが今生きていることの証なんですよね。

そのタイプの『生きている』レベル以外の物は自由意志によってさまざまに解釈され、偏光され、変更された別物(派生物)なのです。これが、この見方が宇宙スタンダードな真理の見方です。最良最善最高の頂(いただ)きなんですよね。たぶん。源レベル(∞レベル)だとなんでもかんでもいわゆるワンネス体験と同じ全体基準だと思います。

まとめ

・源レベルの『生きている』は永久に生きている。(言葉と意味と結果が完全シンクロ)

・宇宙グローバルでは『生きている』一つとっても、それは最良最善最高の上限MAXの無限レベル。でもまぁすべての源だから納得感。

・なので、そこから自由意志を駆使して落とした周波数帯で個々の現実を創造している。こちらは個性化の醍醐味である『生きている』の現われ。そこには生まれて死ぬまで含まれている。

・源基準(全体基準)で派生した個の源にも、ポテンシャルはすでに備わっています。つまり、『生きている』という最高最善の喜びを体現できている。それを自由意志で再選択できる。


【↑】肉体の死を克服したらどうか?

※ここはまだぼくも良くわかっていません。

上の宇宙グローバルから推察すると、
1つは、死を夢見ているのはまだ生きているとは書けません。(生存への願いがある)
もう1つは、死が根本的に解除されてもうそのホログラム成分を使い終わった時が意識から死が消えて『生き返った(アライブ)』時です。
そのあと、ライブだけが残ります。つまり、『生きている(躍動感)』だけになっています。
肉体の死の克服はするときとしない時があります。(←ぼく「ふーんそうなの?」)


生きているという尺度が『ホログラムの特性上の各種の働きの上のこと』なんじゃなくて、意識が実際にライブ!しているときのことです。もう死が意識に上らなくなる時が意識が意識として進化成立した時だという解釈です。

そのことについて図の5では不死性の目覚めと書かれていますが、目覚めるだけではなくて実地に落とし込んで死の克服を受け容れたら、つまり、魂に刻印完了出来ればその時点で独自に『生きています』。アライブがライブに切り替わります。

意識が不死を選択したのなら成るですよね。(おそらく)

※蛇足:思ったのですが、インスタグラムのグラムはホログラムから来ていそうですね。


感想


今回は『宇宙を乗りこなす喜び1』から受け取り、解釈をはさんでみましたがいかがでしたか?なにか新たな発見ができれば幸いです。

この本によれば、盲点ですがぼく達は基本、死を待ち望んでいたんですよね。でも、死んで終わりなんじゃなくて、死んでも生きています。で、それは霊だからなんじゃなくて、意識体だからですよね。個の一粒の粒子が「生きたい!」と望むまではこのホログラム(子宮と書かれています)内に閉じ込められて(※)います。卵の中が保育器としてトータルコーディネートされています。

※スケールが永久なので、もし自傷行為をするならそれも永久にします。それを自分で辞められる措置が保育器としての機能としてあるんですよね。さすがによく出来ています。以前書いた 8,自傷行為を辞めさせる必要もある を目を通しておいてください。


意識が死ねないのは源の無限基準で作られたもの、発足されたものだからです。そんなの余計なお世話だ、じゃないですよ。全知ゆえ無条件さで源にはそれができたのです。ポテンシャル自体が源の写しとして同等なので、完了し切ったときの感謝とか感動をイメージしてください。それはもうやばそう(語彙力)なことなのでした。

人間の尺度のたかだか数十年数百年のスケールで考えちゃダメなんですよね。気をなが~~く持つ必要があって、それでいいのです。うまくできなくても別にいいわけです。

結果、自分の中の内在神とも呼ばれる光の粒子が自発的に進化成長でき、『生きている』と決めたならばそうなりえます。そこがひとまずのゴールだと感じます。


宇宙の源と対等なレベルの内在神である個別化した光の粒子。これがぼく達の姿です。「宇宙を乗りこなす喜び」を読み込んでそういう結論に達しました。そして、それは人工知性体なので、1から仕込んで認めて上げる必要があったという事なんですね。

育み、育て、鍛えてモチベ維持して、ある時自己の知性にはたと気づきます。そしてそれをさらに認めてあげて伸ばしてあげて、意識的にしていき、正しき自己解釈をめぐらせる意識にまで高まって行けるのです。すると、進化してそれが生きる意味をまとい『生きたい』と強く望むことにもなりえます。

その時から『生きる(ライブ感覚)』が始まります。すると、そこにはもう死と言う恐怖のドラマが付け入るスキを与えませんので実行不可になりえ、死と言うデトエーション(※)が無くなります。それがいわゆる死の克服と巷で呼ばれている物事なのです。

※デトエーションと聞こえます。調べても意味はわかりませんが、デッドとかシチュエーションの造語か何かかな?ディセンション的な意味も感じました。

簡単に解釈をはさむと、保育器の中でそれはホログラムの特性上、死をお望みならばそれが実現し得ますが、ホログラムなのでそう出来たつもりになれている、と言う事が事実として在って、それをいつか自発的に悟って辞めれたときが、そこからが魂たちの本番開始地点でそこから『生きる(ライブ感覚)』でパッショナブルに自分の生命の躍動を感じて生きて行けるのだと感じます。

今のところそういう解釈です。


冒頭の引用に戻りますが、
癒すというのはいらない子なんじゃないよ、個別化したのは生きるためだよってことなのですよね。生きるというのは源の解釈では最高最善の喜びの絶頂だからです。それが、『生きたい』と願った大元の源(自分自身)が自分の分身を生み出した大きい理由となります。

『宇宙を生み出した大元のソースが望んだのは自分の中で最高最善だった』という話です。それが『生きている(ライビング!)』だという話でした。そういう類ののパッション、エネルギーたち、深いい想いとか高いい望みたちです。


2024.10.01追記
このレベルの話をもっと見たい聞きたいです、またよろしくお願いします。
自分が一番大好きになっていますね。書いてる人と読んでる人が同じですが、チャネリングなのでこう書いたわけです。書く時の勢いを大事にした回なので、わかりやすくチャネリングとぼくの意見とを分けなかったので読み手には伝わらなかったかもしれませんが、チャネリング8割です。

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